黙示録の予感・デビルマン
 20年間に渡る僕のマンガ家歴の中でも、「デビルマン」を描いた時ほど、創作する上で、精神的充実感を味わった事はありません。デビューして5年目の昭和47年の作品ですが、ギャグマンガ家としてやってきた僕が、SFストーリーマンガの連載を始めて2作目のものでした。
 ギャグマンガ家としては、すでに「ハレンチ学園」や、「あばしり一家」などのヒット作をものにしていた僕ですが、ストーリーマンガの連載にはなれず、いま見直してみると、長い間ギャグ・キャラを描いていたための影響が強く、ずいぶんとデッサンがくるっていたり、演出テクニックも未熟だったりしているのですが、そうした数々の欠陥をも、ものともしない力強さが、この作品には感じられるのです。
 作者である僕自身が、読み返すたびに、作品の持つ凄まじいエネルギーに圧倒され、なおかつ自分の心の底にある何かが再び燃え上がり、感動の嵐に巻き込まれてしまいます。一体全体、「何がそれほどまでに自分自身を酔わせるのか」は、分析できずにいますが、ひとつ確かなのは、当時の僕が全身全霊を打ち込んで描いたものであり、頭からではなく、正に、“魂からにじみ出た作品”であることです。
 「デビルマン」の原点となったのは、幼い時に読んだダンテの「神曲」です。生きたまま、天国や地獄を巡るダンテが、地獄の最下層で、下半身を氷づけにされた、巨大な“悪魔の王ルキフェル”に会うシーンがあります。
 黒々としたコウモリの羽を持ち、恐ろしい三つの顔のそれぞれの口に、極悪人をくわえた魔王ルキフェルの姿から、僕は「魔王ダンテ」という作品をイメージしました。その「魔王ダンテ」を発展させて作ったのが、「デビルマン」です。
 当初TVのアニメシリーズのために作ったストーリー設定でしたが、TVと連動させて雑誌連載もやることになり、「週刊・少年マガジン」に描き始めたのですが、TVにはなかった“飛鳥了”という人物を作り、その了を「主人公・不動明を悪魔の世界に導く」案内人の役で登場させたことから、作者自身が思いもよらぬ方向へと、ストーリーが展開していっていまったのでした。
 先頃、「世界を操る黒魔術の呪い」(山内雅夫著、カッパブックス)という本を読みました。世界の歴史を、黒魔術の側面から実証的に解説したその本のラストで、山内氏は、昨今の有名な予言者、ノストラダムス、エドガー・ケイシー、ジーン・ディクソン等による「世紀末の予言」を取り上げ、「ヨハネの黙示録」の内容とてらし合わせて分析し、未来を予測しています。
 そこには、やがて日本はアジアに君臨し、中国と同盟を結び、「日中」対「米ソ」の大戦争(ハルマゲドン)に突入するだろうことを、これらの予言者が共通して示しているとありました。
 もちろん、いかに優れた大予言者達が書き残したものであろうとも、所詮は“予言”であり、確証はありません。しかしこれを読んだ時に僕は、「デビルマン」のテーマと、これらの“予言”に共通するものがあることに気がついたのです。
 「デビルマン」は人間・不動明が悪魔と合体し、戦闘能力を得て、悪魔の軍団と戦うという話ですが、この「悪魔」を「軍事力」と考え不動明を「日本の国」と考えるとこれらの予言と似かよってくるのです。そして、「悪魔の無差別合体」は「徴兵制」を、美樹の「死」は、平和の「崩壊」を象徴しているのです。
 氷に閉じこめられた悪魔が復活するところから、物語は始まるのですが、これを氷の多い寒い土地の軍事大国と解釈するとどうでしょう?そして、不動明を戦いへと駆り立てる、金髪に青い眼の飛鳥了が、日本と同盟関係にある、もうひとつの軍事大国とその国民であると仮定するとどうでしょう?
 僕の“魂の投影”である作品「デビルマン」が、世界を終末へと導く「世紀末戦争」の予言の書の一つなどにならず、単にSFファンタジーの世界の中だけで終わることを、平和を愛する一個の人間として心から祈るものです。
1987年9月17日発行
「豪華愛蔵版 デビルマン」第1巻著者あとがきより

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