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初挑戦のギャグマンガだったけれど、やってみたら、本当に速く描けた。アイディアにも特に困らないし、いったんキャラクターを作ってしまえば、それを転がすだけで、次々にギャグが出てくる。子供の頃から落語とかが好きでたくさん聴いていたし、コメディー映画もたくさん観ていたし、そういう素養も大きかったのだろう。 |
前にも書いたが、僕はマンガに関しては、自信過剰と言えるほど自信満々だった。自分が将来プロのマンガ家になることには、毛ほども疑いを持っていなかった。根拠は何もなかったが、でも、自分の頭の中には、いつもたくさんのストーリーが渦巻いていたし、「一度火が点けば簡単なもんだ」と、不安すら感じたことはなかった。持ち込み時代に全く編集者に相手にされなくても、「まだオレのマンガがわかる時代になってないんだな」とか、「この編集者、マンガを見る目がないな」と思っていたのだから、とんでもない性格だ。 持ち込み時代に「有名な先生のアシスタントになるのが、デビューへの近道」とわかったこともあって、石森先生のアシスタントをすることになった。でも始めてみると、先生の仕事が無茶苦茶忙しく、とても自分の作品なんか描けない。いくらマンガに自信があっても、その肝心のマンガが描けないことには、デビューできるわけがない。さすがの僕も、だんだん焦ってきた。なんとかして少ない時間で作品を描いて、出版社の編集者に見せなくてはいけない。考えに考えて、一つの結論に達した。「これはもう、ギャグをやるしかない」。 というのは、こういうことがあったからだ。あるとき、石森先生の原稿が締め切りを遅れに遅れ、担当編集者が真っ青な顔で駆けつけてきた。「先生、もう半日しかありません。今日原稿を印刷所に入れなかったら、本当にアウトです!」。すると石森先生はこう言った。「あ、半日ね、大丈夫大丈夫」。それからネームを始め、先生がペンを入れて手放すまで30分。そのあと僕らが背景に2時間ほどかかったが、担当編集者が待っている間に、ゼロの状態から16ページの原稿が出来上がってしまったのだ。これには担当編集者も、狐につままれたような顔をしていた。 その時から「ギャグは早く出来る」という認識が、僕の中に出来あがっていた。だから、時間がない中でマンガを描こうとしたとき、ギャグをやってみようと思ったのだ。それまでギャグマンガは描いたことがなかったけれど、デビューのためには、やってみるしかなかった。とにかく、なんとしても1本作品を完成させる必要があったのだ。 |
とは言っても、赤塚不二夫先生に代表されるような、既存のギャグマンガを描くつもりはなかった。いずれはストーリーマンガを描くつもりだったから、ストーリー性のあるギャグ、いわば“ストーリーギャグ”ともいうべきものを目指したのだ。思いついたきっかけは、ジャンポール・ベルモンドの『リオの男』という無声映画を観たことだった。恋人をさらわれた主人公が、パリの街角からブラジルの奥地まで追いかけて助けるという、ただそれだけの話だ。主人公は寡黙な男でほとんど喋らないが、体を張って必死に難関を突破していく姿が、ものすごく可笑しかった。こういうジャンルをスラップスティックということは、あとで知った。 この『リオの男』を観たことで、別に口で可笑しいことを言わなくても、ギャグマンガは作れるんだということがわかった。ストーリーがしっかりあっても、主人公の動きで笑わせることができる。このストーリーギャグなら、自分のストーリーマンガの演出や、石森先生の下で覚えた演出技法も、みんな活かせるなと思った。 しかし、そういうテイストの作品を目指したおかげで、仕上げにはかなりの時間が必要になった。作品の中にはちゃんと背景を入れたかったし、列車の爆発など派手な場面も使いたかった。それで、ある程度完成のめどが立ったところで、石森先生に「持ち込みに行きたいんですが、少し時間をもらえませんか」と相談した。その頃には後輩のアシスタントたちを、かなり描ける状態にまで仕込んでおいたし、少々余裕のある時期を見計らって切り出したから、先生も快く3ヵ月の休みをくれた。描きさえすればデビューできると思っていたので、ああこれでやっとデビューできると嬉しかった。僕は3ヵ月で作品を完成させ、いよいよ出版社に持ち込みを再開した。 だが「ギャグなんだかストーリーなんだか、よくわかんないね」というのが、最初に持っていった『少年サンデー』の編集者の感想だった。「そこが面白いんじゃないですか」と食い下がったが、その人には全く理解してもらえなかった。僕は、作品を抱えて編集部を出るしかなかった。ただ、そのときに言われた「台詞がつまんない」という言葉は、耳に残っていた。確かに、ストーリー性を意識して、真面目な台詞ばっかりだったかもしれないと思った。そこで家に帰ると、登場人物の台詞を全部書き直した。こいつは関西弁にしてみようとか、工夫をこらしたのだ。特に、ヒゲだらけの男を「オホホ、ウフフ」と女性の喋り方にしたら、すごく気持ち悪くなり、これは面白いかもしれないぞと思った。この人物は、『ハレンチ学園』のヒゲゴジラの原型となった。 そして、描き直した作品を『ぼくら』編集部に持ち込むことにした。そこに大きなチャンスが転がっていることを、当然ながら、僕はまだ知らなかった。 <第15回/おわり>
(c)永井豪/ダイナミックプロダクション2002 (c)Go Nagai/Dynamic Production Co., Ltd. 2002 |
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