永井豪天才マンガ家の作り方教えます! 永井豪、初の自伝的エッセイ 豪氏力研究所

第2回 手塚治虫先生との運命の出会い 車や海を怖がった話もそうだけど、僕はちょっとエキセントリックな子供だった。空想癖があったし、幽霊を見たりということもあった。だから、よその家の子供たちと外で遊ぶよりは、兄弟と家の中で遊んでいるのが好きだった。そういう中で、僕の運命を決定づける出来事があった。


兄貴が持って帰った4冊の赤本
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永井豪氏3歳、輪島にて
 僕が生まれた輪島は、当時は綺麗な海のある漁師町だった。海に行くといつも海女[あま]の子供たちが、元気よくフンドシ一つで海に潜って、銛[もり]で魚やカニを突いて遊んでいた。僕はよく、海岸に座ってそれをぼんやりと眺めていた。するといきなり頭の上にカニをのっけられたりしたものだ。別にイジメられたわけじゃなくて、からかわれていたのだが。戦後のことで食糧事情は悪かったけれど、輪島では魚だけは不自由しなかった。僕も、毎日魚を食べて育った。

 車や海を怖がった話もそうだけど、僕はちょっとエキセントリックな子供だった。空想癖があったし、幽霊を見たりということもあった。だから、よその家の子供たちと外で遊ぶよりは、兄弟と家の中で遊んでいるのが好きだった。そういう中で、僕の運命を決定づける出来事があった。

 一番上の兄貴は僕より14歳年上なのだけれど、当時、旧制四高(現在の金沢大学)に進んで寮生活をしていた。で、休みになると輪島へ帰ってくるのだが、あるとき、当時は赤本と呼ばれていた、手塚治虫先生のマンガの本を何冊も持って帰ってきてくれた。今でも覚えているけれど、最初に持って帰ったのは『メトロポリス』『ロストワールド』『ファウスト』『拳銃天使』の4冊だった。これが、手塚先生との最初の出会いだった。僕が3歳か4歳の頃だったと思う。

 それ以前にも、マンガは目にしていた。兄貴たちが、『少年画報』の前身である『冒険活劇文庫』という雑誌を購読していて、それに『黄金バット』や『地球SOS』などのマンガが載っていたからだ。もちろん字はまだ読めないので、兄貴たちが読むのを横からのぞき込んでいたのだが。『黄金バット』はガイコツの仮面をしていて怪物みたいだし、怖いという記憶が強いけれど、なぜか夢中になっていた。でも、やはり手塚先生のマンガが与えたインパクトが、一番すごかった。

 4冊の手塚マンガを持ち帰った一番上の兄貴は、4人いる自分の弟に「好きな本を取っていいぞ」と言った。みんな優しい兄貴たちで、チビのほうから先に選んでいいということになった。まず、一番下の弟が、弁当箱みたいに分厚くて一番でっかい『拳銃天使』を取った。次が僕。僕はもちろん『ロストワールド』を選んだ。だって、上下2巻組みだったからだ。1冊より2冊のほうがいいに決まっている。そしてすぐ上の兄貴は『メトロポリス』を取り、その上の兄貴には、ちょっと哲学的な『ファウスト』が残った。


初めてマンガを描いた日
 一人1冊ずつ取ったとは言っても、結局はみんなで回し読みすることになる。僕もどうせ自分じゃ読めないから、兄貴たちに読んでもらうしかない。そうやって、僕はこの4冊を、もうボロボロになるまで一所懸命読んだ。僕は、マンガの中でも手塚先生の作品が一番好きだった。やがて兄弟たちも、手塚先生のマンガを好きになってくれた。『冒険活劇文庫』では、いや、もう『少年画報』に名前が変わっていたが、手塚先生の新連載『サボテンくん』が始まった。そんなにマンガの本をたくさん買える余裕はなかったのだが、兄貴たちがなんとかゲットしてくれて、夢中になって読んだ。

 手塚先生のマンガに出会った僕は、真似しようと思って絵を描き始めた。いや、それはぐちゃぐちゃの真っ黒けの、とても絵とは呼べないような代物だった。家にあったスケッチブックも、僕は“ぐちゃぐちゃの真っ黒け”にしてしまった。それを発見する度に、「またか、このヤロー!」と兄貴たちが嘆くのなんの。当時スケッチブックは貴重で、兄貴たちはみんなで大事に使っていたのに、それを僕が、全部台無しにしてしまったのだ。

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輪島の自宅で母・弟と。左が永井豪氏
 僕の兄貴たちは、みんな絵が上手かった。一番上の兄貴は一方で映画狂でもあり、戦後すぐからの藁半紙みたいな『キネマ旬報』も全部揃えていて、俳優の写真を見て絵を描いていた。二番目の兄貴も上手かった。ただ、誰かに誉められると描くのをやめてしまうという、ヘンな性格。すぐ上の兄貴は、本当に僕より絵が上手くて、僕はいつも真似しようと追っかけていた。

 今思えば僕の回りには、マンガを描くには申し分のない環境が調っていたのだ。絵だけでなく、ドラマや笑いの面白さも兄貴たちに教わった。当時はテレビなんてないから、兄貴たちはラジオで落語を聴くのが好きで、その影響で僕も小さい頃から落語を聴き始めた。すると兄貴たちは、いろんな面白い噺を僕に教えてくれた。

 そういった、マンガ好き、映画好き、落語好きの兄貴たちから、いろんな面白さの要素がどっと僕に流れ込んできて、まるで吹き溜まりのように僕の中に蓄積されていった。SFも、ユーモアも、ギャグも、なんでもかんでも。そして僕は兄貴たちから、空想の世界の楽しみ方を、ぎゅっと押し込められた気がする。全く自然に、身についていったのだ。

 たくさん入力があると、遊び方にしても変わってくる。僕は、自分でイメージやストーリーを作るようになった。弟と遊ぶときも、ここは火星だとか、宇宙のどこかにある星だとか、僕が自分で設定を作って“ごっこ遊び”をした。押し入れを洞窟に見立てて、「ここから大きな竜が出てくるんだぞ」とか「危険だから伏せろ!」というと、弟は怖がって素直に従った。ヘンな棒のようなものを探してきては、ナントカの銃だといってバンバン撃つ真似をした。

 そうやって自分でお話を作って遊んでいると、僕の目には本当にイメージとして見えてきた。そう、押し入れの中から、恐ろしい姿をした巨大な竜が出てくるのが、僕には本当に見えた。そして竜の息遣いまで感じて、恐怖したのだ。

<第2回/おわり>

(c)永井豪/ダイナミックプロダクション2002
(c)Go Nagai/Dynamic Production Co., Ltd. 2002



永井豪(ながい・ごう)
1945年9月6日、石川県輪島市に生まれる。石ノ森章太郎氏のアシスタントを経て、'67年『目明かしポリ吉』でデビュー。'68年『ハレンチ学園』を連載開始、たちまち大人気を博し、以後現在に至るまで、幅広いジャンルの作品を大量に執筆し続けている。代表作は『デビルマン』『マジンガーZ』 『凄ノ王』『キューティーハニー』など多数。


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