中学生になったら、今度はクラスに貸本マンガに詳しいヤツがいた。そいつは「白土三平ってすごいんだよ」と、読んでみるように僕に勧めた。読んでみたら、確かにすごかった。マンガの中で血がばんばん飛んでいる。当時はマンガの中で、血なんか描いちゃいけない風潮だったのに。そして白土三平先生のマンガを見ていたら、突然、幼い頃に体験した衝撃的な記憶が甦ってきた。 |
藤子不二雄先生たちのように、一緒にマンガを描く仲間もいなかった。一人だけマンガ好きの友だちがいたが、好みが全く違っていたので、一緒に描くことにはならなかった。僕は手塚先生及び、手塚先生に影響を受けた系統の、横山光輝先生、石ノ森章太郎(当時は石森)先生、小沢さとる先生や、トキワ荘の人たちの絵が好きだった。だけど、その彼は杉浦茂先生のマンガの大ファンだったのだ。僕は本当にビックリした。失礼な話だけど、そういう人がいようとは、当時全く予想もしなかった。杉浦先生のマンガは、あまりにナンセンス過ぎて、僕には全然理解できなかったのだ。 僕はギャグマンガでデビューしているので、ナンセンス派のマンガ家だと思われているようだ。でも当時は、リアリティーがきちんとした作品でないと、受け付けなかった。ストーリーマンガ好きの人間だったのだ。僕は彼に聞かずにはいられなかった。「こんなマンガが好きなの? どこが面白いの?」。すると彼は、こう答えた。「え? だって“コロッケ五円のすけ”なんて名前なんだよ? 驚くと、こうやるんだぜ? んでトトトトッてやるんだぜ? 無茶苦茶面白いじゃん!」。 うわあ、そうかあ……と、僕はなんだかよくわからない世界があることに、感心してしまった。この友だちには、ナンセンスな面白さというものがあることを、初めて教えてもらった。彼は、お父さんがイラストレーターで、彼自身も絵が上手かった。その後工芸高校へ進んで、指輪の彫金など金属工芸の仕事をしていたが、久しぶりに会ったら、玩具会社でフィギュアなどの金型を作る仕事に就いていた。マンガを好きな人間は、似たような方向へ進むんだなあと、僕はそのとき妙に納得した。 |
でも中学生になったら、今度はクラスに貸本マンガに詳しいヤツがいた。そいつは「白土三平ってすごいんだよ」と、読んでみるように僕に勧めた。読んでみたら、確かにすごかった。マンガの中で血がばんばん飛んでいる。当時はマンガの中で、血なんか描いちゃいけない風潮だったのに。そして白土三平先生のマンガを見ていたら、突然、幼い頃に体験した衝撃的な記憶が甦ってきた。 僕が幼稚園児くらいだった頃のこと。僕は父と近所のおばさんと3人で、道を歩いていた。その時、子供のイタズラだろうか、どこからか小石が飛んできて、おばさんのコメカミに当たった。するとおばさんのコメカミから、勢いよく血が噴き出した。おばさんは慌てて手で押さえたが、血は噴水のようにピューッと飛び続けて、なかなか止まらない。コメカミはやはり、人間の急所なのだ。僕はそのショッキングな光景を間近に見ながら、「あーっ、血ってすごく飛ぶんだな」と思ったことを覚えている。この衝撃は今も鮮烈に残っていて、いろんなところで僕の作品に影響を与えているようだ。 だから、初めて白土三平先生の貸本マンガを見たとき、僕は「ああ、これが正しい」と思った。その頃、子供向けのマンガには描かれていなかったけれど、人間を斬ったら、絶対にこれくらい血が飛ぶのだ。それを僕は、偶然に体験した出来事で知っていた。だから僕は、白土三平先生の貸本マンガに、“リアリティー”というものを学んだことになる。 少女マンガを読むことはあまりなかったけれど、手塚治虫先生の少女マンガだけは、最初から好きだった。女の子が可愛くて、中でも『リボンの騎士』は本当に好きだった。うちは男ばかり5人兄弟だったので、少女マンガを手に入れるのが難しかった。だから、縁日で少女雑誌の付録のマンガを売ってたりすると、勇んで買い集めたものだ。当時、男の子が少女マンガを買うのはドキドキもので、今でいうと、思春期にエッチな雑誌を買うような感覚だった。勇気を出してやっと買って、店を離れてからようやく「はあーっ」という感じだった。 『リボンの騎士』の扉絵は、サファイア姫が男の格好でチャンバラをやっているものが多かった。だがある回の扉で、裾の広がったパーティードレスを着ている絵が描かれていた。その胸元に、1ミリほどの線で胸の谷間が描かれていて、それだけでもう、僕の心臓は高鳴った。小学校5〜6年の頃だったと思う。手塚先生は、『少女倶楽部』の付録でも人魚が出てくるマンガを描かれていて、人魚だから上半身が裸で、色っぽくてもう本当にドキドキした。裸といっても、別に乳首が描いてあるわけじゃなくって、胸がなだらかに膨らんでいるだけ。でも、それでもう大満足だった。少女マンガで興奮するなんて、不純な楽しみ方だったかもしれないけれど。 マンガの面白さっていろいろあるんだということを、この頃僕は、いろんな作品からどんどん吸収していた。 <第4回/おわり>
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