永井豪天才マンガ家の作り方教えます! 永井豪、初の自伝的エッセイ 豪氏力研究所

僕のアイディア&キャラクター発想法 『デビルマンレディー』という作品がある。この“レディー”のキャラクター造形は、実は連載を始める何年も前に、いたずら描きをしていて出来たものなのだ。それでのちに新連載を始めようというとき、編集長にいくつか出したアイディアがどれも受け付けてもらえなくて、ついに思い余って、ほったらかしにしてあったレディーのいたずら描きを見せた。そうしたら、「あっ! これだよ!」と言われて、そのまま新連載作品となったという訳だ。


デビルマンレディー誕生秘話
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1997年『モーニング』で連載開始の『デビルマンレディー』。
(c)永井豪/ダイナミックプロ
 読んだマンガの真似をしてラクガキするのは、本当に小さな頃からやっていたけれど、ちゃんとキャラクターを立ててマンガらしきものを描いたのは、中学3年生の時だった。マンガのアイディアは、それ以前、中学1年生の頃からノートに書き貯めていた。アイディアノートといっても、そんなに細かいものじゃなくて、大体は思いついたタイトルだけが書いてあったりするだけのものだ。細かいストーリーラインを書くのは面倒だし、タイトルがあれば、どういうものを描こうとしたか記憶に残っているから、これで充分なのだ。

 こういう話をすると、そのアイディアノートを見てみたいという方もいるかもしれないけれど、僕のアイディアノートは、他の人が見ても、まず何が何だかわからないだろう。何しろタイトルしか書いてないし、冊数だけはたくさんあるものの、2〜3ページ使っては、また別のノートに移ったりで、順番もバラバラだ。デビューをして忙しくなってからは、編集の人と話をしながら思い浮かんだものを、パッと作品にすることが多くなった。一番忙しいときは、当時5誌あった週刊少年誌の全部で連載を持っていたから、アイディアを考えるヒマすらなかったのだ。

 もっとも、今でもちょっとヒマができると、いろんなことを考えながらノートに書いたりする。だから、ノートにアイディアをいろいろ書いていたのは、仕事に余裕のある時期なわけで、ノートを見ると、ああこの頃はヒマだったな、ということがわかったりする。ただ、書いた日付まではつけてないから、いつ頃思いついたアイディアかは、正確にはわからない。昔はノートを見ると、いつ頃書いたものか全部わかったのだけれど、最近は記憶力もだんだん自信がなくなって来た。そろそろ書き方も考えたほうがいいのかもしれない。

 ところで、ストーリーのアイディアも大事だが、むしろ僕の場合こういうノートやスケッチブックは、新しいキャラクターを生み出すときに大いに役立っている。例えば『デビルマンレディー』という作品がある。この“レディー”のキャラクター造形は、実は連載を始める何年も前に、いたずら描きをしていて出来たものなのだ。それでのちに新連載を始めようというとき、編集長にいくつか出したアイディアがどれも受け付けてもらえなくて、ついに思い余って、ほったらかしにしてあったレディーのいたずら描きを見せた。そうしたら、「あっ! これだよ!」と言われて、そのまま新連載作品となったという訳だ。


いたずら描きは、本当に楽しい
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高校2年生のとき。バス通学の車中で。
 昔から僕は、時間があると、遊びで自分のマンガのキャラクターを使って、いたずら描きをする癖があった。たとえば男のキャラクターを女にしてみたり、逆をやってみたり。あるいは「マジンガーZが人間だったら」と考えて見たり。レディーは、デビルマンのデザイン的な要素を使って女の子にしたら、色っぽくて可愛いくなるかなと思って遊んでみたものだ。そう、これは僕にとってあくまでも“遊び”なのだ。だけど、そうやっていたらまた全然違った顔になるので、「あ、これはまた別の性格のキャラクターだな」という風に思えてきて、やがて自然に、新しいキャラクターに育っていったりする。

 それがわかってからは、新しいキャラクターを作るのに詰まったときなどに、意識的に自分の持っているキャラクターをデコレーションしてみるようになった。おなじみのキャラクターの顔に、ヒゲを描くとか目を大きくするとかの、ちょっとしたデコレーションを加えてみたり。また、いつもの扮装を変えてみたり、顔を描いている途中でパーツの形を変えてみたり。“ドクター・ポチ”というキャラクターがいるが、彼も実は、もとは“冷奴”なのだ。よく見ていただくと、どういう過程をへて冷奴がポチになったか、おわかりになると思う。やってみて失敗することもある。「けっこう仮面を男にしたらどうなるだろう?」と思って、試してみたことがあるが、さすがにこれはダメだった。

 ゼロから新しいキャラクターを作ることも多いのだけれど、こういう“遊び”の中から生まれてきたキャラクターも数多い。よく考えてみると、僕はもともと純粋に絵を描くことが好きなのだ。仕事が終わって自宅に帰っても、ヒマがあると自分の部屋にこもって、スケッチブックを広げて、絵を描いて遊んでいる。これは僕にとって、本当に楽しい時間なのだ。毎年お正月には、静養のためにハワイに行って羽根を伸ばすことにしているが、そのときも必ずスケッチブックを持っていって、早起きしてはホテルの部屋で絵を描いたりしている。「それで静養になるんですか?」と言う人もいるけれども、僕は手元にスケッチブックがないと、何か落ち着かないのだ。

 さらに、いたずら描きが好きだ。これはもう病気かもしれない。何年か前に香港に行ったとき、旅行の記念にと油絵を買った。夕日が香港の海に沈んでいく風景を描いた、美しい絵だ。帰ってしばらくは壁に飾って眺めていたが、やがてだんだん飽きてきた。すると無性にいたずら描きをしたくなり、大きな夕日の真ん中に、いつもサインで描く自分の顔を描いてしまった。この絵は現在、会社の会議室に飾ってある。また、ある著名なイラストレーターの方から画集をいただいたときのこと。どれも素晴らしい風景画なのだが、見ているうちにだんだん悪い虫が疼きだした。そして僕はついに我慢できずに、その全部の絵の中に冷奴を描き入れてしまった。しかも、お尻をペロンと出しているヤツとかをだ。それだけではなく、「このほうがいい絵になったでしょ」などと他人に見せたりもした。なんてヒドイことをするのだろう。

 なんで僕はこうも、絵を描くことが好きなんだろうか。でも、そのお陰で今までマンガ家を続けて来られたのだから、まあいいのかな。

<第6回/おわり>

(c)永井豪/ダイナミックプロダクション2002
(c)Go Nagai/Dynamic Production Co., Ltd. 2002



永井豪(ながい・ごう)
1945年9月6日、石川県輪島市に生まれる。石ノ森章太郎氏のアシスタントを経て、'67年『目明しポリ吉』でデビュー。'68年『ハレンチ学園』を連載開始、たちまち大人気を博し、以後現在に至るまで、幅広いジャンルの作品を大量に執筆し続けている。代表作は『デビルマン』『マジンガーZ』 『凄ノ王』『キューティーハニー』など多数。


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