永井豪天才マンガ家の作り方教えます! 永井豪、初の自伝的エッセイ 豪氏力研究所

石森先生との不思議な縁 「今ピンチなんだ!」。石森先生だった。原稿が雑誌の締め切りに間に合わないので、アシスタントとして手伝いに来てくれというのだ。1回見てもらっただけだったのだが、石森先生は僕の絵を覚えていたらしい。いきなりプロのマンガの背景を描くのか、と緊張したけれど、真剣に僕の作品を見てくれた石森先生の頼みだし、急いで先生の仕事場に駆けつけた。


虫プロは、疲れていた
 僕は自分の原稿を抱えて、虫プロに行った。だが、手塚先生は忙しくて不在とのことだった。かなりあとで得た知識では、手塚先生は毎週担当者から逃げ回っていたようだから、今考えると本当は、その時も居留守を使って隠れていたのかもしれない。とにかく、いないということなので、代わりに当時のチーフアシスタントだった大野豊さんが、持っていった作品を見てくれることになった。

 その後、他のアシスタントの人たちも見てくれた。だが、口々に「上手いね」とは誉めてくれるものの、それ以上のリアクションは何もなかった。アシスタントの人たちは、みんなぐったりとして、僕の目には気力が失せているように見えた。仕事で、徹夜明けだったのかもしれない。でも、この疲れた集団の中に入って、同じようになってしまってもしようがないな、と感じた。僕は、アシスタント希望だということは伏せて、作品の批評だけしてもらおうと考えた。

 一応、マンガを見てもらいながら、僕は「アシスタントの仕事って、どうなんですか」と探りを入れてみた。でも「いやあ、自分のものを描くヒマもないしね」と、投げやりな答えが返ってきた。この人たちは、こうやってずるずるとアシスタントを続けていくのだろうと思った。僕は、そんな状況に陥るのはイヤだった。結局その日は、それだけで虫プロを後にした。

 虫プロに入ることを諦めると、前の日に見た夢のことが気になってきた。あの夢には一体、どんな意味があるんだろう──? そんなある日、弟の友達で、僕と同じようにマンガ家を目指しているヤツと会った。彼は僕以上に、自分の作品をあちこちに見せて回っていた。そして「石森章太郎先生は作品を熱心に見てくれるから、一緒に行かない?」と誘ってくれた。ああ、そうなの。石森先生かあ。夢も見ちゃったことだしなあ……と、僕は何か不思議な縁も感じて、彼と一緒に石森先生の所へ行くことにした。それが、石森先生と出会うきっかけだった。

 石森先生は、僕たちを喫茶店で待っていた。作品しか見ていないので、スマートでハンサムな青年というイメージを持っていたのだけれど、お地蔵さんみたいに太っていて、着物を着ていて、落語の柳家小さん師匠みたいだなあという印象だった。でも、持っていった作品をちゃんと読んでくれて、「うーん、すげえなあ」と誉めてくれた。でも、虫プロに行った経験で用心深くなっていたので、アシスタントになりたいという話は、その時はしなかった。また新しい作品を描いたら、見てもらおうかなあ、というくらいのつもりだった。


突然かかってきた電話
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可愛い美少年だったという証拠写真。
 僕はその頃20歳だったが、アルバイト生活をしていた。相変わらず自宅に住んでいたのだけれど、予備校にも行かなくなったし、父親もとっくに亡くなっていたので、少しは母にお金を入れないと申し訳なかった。バイトをやるのは3回目だった。最初は中学生のとき。同級生の親戚が蛍光灯を作る工場で、彼の代わりに1週間バイトを引き受けてハンダ付けなんかをやっていた。工場には美人で妖艶なお姉さんがいて、その人がよく僕の向かいで仕事をしていた。いつも胸が大きく開いたサマーセーター姿で、前屈みになった拍子に、その豊満な胸元がチラリと見えるのが楽しみだった。

 二つ目のバイトは高校を卒業する直前。友達に誘われて、農業関係の陳情団体みたいな所で働いた。議員会館に行き、農業を支援してくれる議員を中心に、資料を配ったりした。パスをもらっていたから、議員食堂で昼ご飯を食べたり、国会議事堂でパーティーがあったりすると、連れてってもらって飲み食いしたりした。だから僕が最初に赤絨毯を踏んだというのは、このときのことだ。今でも人には「国会で尽力した時期もありましてね」と話すことにしている。

 ちょっと話が脱線したけれど、石森先生に出会った頃、僕はすき焼き屋さんで3回目のバイトをしていた。皿洗いで応募したら、「お前は可愛いからボーイをやれ」と言われて、いやホントにそう言われて、すぐにお運びの仕事に替えられた。結構お給料もよかった。午後3時から夜9時までのバイトで、自分のマンガを描く時間もあった。何より飯がついているのが魅力だった。そういうわけで、気に入っていたバイトだったのだけれど、自宅にかかってきた1本の電話で、このバイトはやがてやめざるをえなくなった。

「今ピンチなんだ!」。石森先生だった。原稿が雑誌の締め切りに間に合わないので、アシスタントとして手伝いに来てくれというのだ。1回見てもらっただけだったのだが、石森先生は僕の絵を覚えていたらしい。いきなりプロのマンガの背景を描くのか、と緊張したけれど、真剣に僕の作品を見てくれた石森先生の頼みだし、急いで先生の仕事場に駆けつけた。最初に背景を描いた作品は、『さるとびエッちゃん』だったと思う。

 一度行ったら、石森先生にすっかりあてにされてしまった。次はいつ来てくれる? と聞かれ、最初はすき焼き屋さんのバイトがない日なら、と言っていたのだが、そのうち「全面的にやってくれないか」と頼まれた。すき焼き屋の給料のほうが、石森先生のところよりよかったのだけれど、マンガ家を志している以上、そういうことも言ってられないなと思い、アシスタントに専念することにした。だから、望んで石森先生のアシスタントになったというより、無理矢理引きずり込まれたという感じだ。

 最初は3人のアシスタント仲間と楽しくやっていた。ところが3ヵ月後、石森プロに大変な事態が起こった。そのせいで僕は、死ぬような目にあうことになる。

<第10回/おわり>

(c)永井豪/ダイナミックプロダクション2002
(c)Go Nagai/Dynamic Production Co., Ltd. 2002



永井豪(ながい・ごう)
1945年9月6日、石川県輪島市に生まれる。石ノ森章太郎氏のアシスタントを経て、'67年『目明しポリ吉』でデビュー。'68年『ハレンチ学園』を連載開始、たちまち大人気を博し、以後現在に至るまで、幅広いジャンルの作品を大量に執筆し続けている。代表作は『デビルマン』『マジンガーZ』 『凄ノ王』『キューティーハニー』など多数。


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