この頃は、本当にきつかった。例えば、13社の編集者が、仕事場にずらっと並んだことがあった。もちろん、みんな落ちそうな原稿を待っているのだ。どこかのを先に上げると大変なことになるから、石森先生は13社の原稿を全部並べて、ものすごいスピードで描いていく。描き終わると、僕らの前の畳にどんどん置いていく。僕らが1枚の背景を描き終えると、ひったくるようにその担当編集者が持っていく。 |
アシスタントとして石森プロに入る前、最初に原稿を見てもらったあとで、石森プロへは1回だけ遊びに行ったことがあった。その頃、アシスタントの人たちは、石森先生の仕事場とは別のアパートで仕事していて、僕が行ったのは、先生がいなくて気軽に行けた、アシスタントの仕事場のほうだった。その頃アシスタントには、野口竜さんという人と、清(せい)つねおさんという人がいた。その後、清さんがモリケンさん(森田拳次先生)のところへ移ることになり、僕が入るちょっと前に、僕より年下のアシスタントが2人入っていた。 当時石森プロは、新宿区の牛込にあった。石森先生は27歳、バリバリの売れっ子マンガ家だった。新入りの僕は20歳。先輩の野口さんは21歳。年下の二人は、17歳と18歳。みんな若く、年齢も近かったし、先生は別のアパートで仕事をしているから、仕事場の雰囲気は和気藹々。みんなでマンガや映画や本について、いろんな話をしながら働いていた。時々誰かが石森先生の仕事場に原稿を取りに行き、持ち帰っては先生の指示を伝えて、それぞれ背景を描くというスタイルだった。 初めて手伝いに行ったとき、いきなり原稿を任されて驚いたが、石森先生からの指示は、本当にいい加減だった。そんな調子で僕らは好き勝手に描いていたのだけれど、そのバラバラの背景を、要所要所をキチッと描いてまとめていたのが、野口さんだった。野口さんは、年こそ僕と一つしか違わないが、石森プロがスタジオ・ゼロという名前だった頃からのベテランだった。だから、彼がアシスタントの仕事のまとめ役だった。のちに実写の戦隊物のキャラクター・デザインを手掛けるようになった人だ。
しかし、そんな楽しい時期は1〜2ヵ月で終わることになった。まず当時の少年画報社の編集者が、ある日石森先生に「背景の絵がバラバラなので、もっとアシスタントを監督しないとイカンのではないか」と進言した。僕らにとっては、ホントに余計な一言だった。その結果、石森先生とアシスタントは、一緒の部屋で仕事することになった。非常に楽しくやっていた仕事場も、急に厳しい雰囲気になった。それ以来仕事は、シーンとした中でカリカリとペンを動かすだけになってしまった。さらにこの頃から、石森先生の仕事がどんどん増え始めた。みんな、ものすごく忙しくなった。 |
この頃は、本当にきつかった。例えば、13社の編集者が、仕事場にずらっと並んだことがあった。もちろん、みんな落ちそうな原稿を待っているのだ。どこかのを先に上げると大変なことになるから、石森先生は13社の原稿を全部並べて、ものすごいスピードで描いていく。描き終わると、僕らの前の畳にどんどん置いていく。僕らが1枚の背景を描き終えると、ひったくるようにその担当編集者が持っていく。それで次の原稿を拾うのだけれど、ある社の原稿を拾おうとすると、別の社の編集者にものすごい目で睨まれる。じゃあこっちかな? と別のを拾おうとすると、今度は別の編集者が睨む。きりがないから、頭を上げないようにして、目についたヤツから拾って大急ぎで描く。大体毎日、そんな状態だった。 こうなると、アシスタントの不満も表に出てくる。一つには、そういった仕事場の雰囲気が堪えがたかった。次に、むちゃくちゃ忙しくなったにもかかわらず、僕らの給料は相変わらず安かった。石森先生も桜台に家を建てたばかりで、余裕がなかったのだ。ちょうどこの頃、野口さんはそろそろデビューしようという時期だったので、野口さんが辞めたいというと、じゃあオレもオレもと、僕を除く全員が一どきに辞めてしまった。こんなに、忙しい目に遭わせた石森先生を困らせてやろう、という心理も働いていたのかもしれない。 だが、僕は辞めなかった。まだ自分の覚えたいことが全部できていなかったからだ。野口さんの絵を見ても、自分は絵の力がまだまだ足りないとわかっていた。野口さんは、どんな絵の注文が来ても、楽々こなしていた。一方僕は、それまで自分の描きたい絵しか描いていなかった。野口さんのように、どんな絵でも描けるようにならないと、プロにはなれないと思っていた。石森先生のテクニックも、もっともっと研究したかった。4人でも死ぬほど忙しかったのに、一人になったらどうなることかと思ったけれど、いろんな絵を描かなきゃならなくなるから、実力を磨くには逆に好都合だと思った。仕事は何倍にもなるだろうけど、僕は覚悟を決めた。 それから石森先生が、少しは仕事を減らしたかというと、全然そんなことはなかった。編集者からの電話の応対や仕事の進行管理は、全部僕がやることになったので、仕事の量は調整できるはずだった。だが、僕がスケジュール的に無理だから、こっそり断ろうとすると、石森先生は、会話の端々からそれを敏感に察知してしまう。すると「何っ!?」と言って飛んできて電話をひったくり、「あ、カットですね、はいはい、いいですよ」と受けてしまうのだ。どうしようもない。 こうして新しいアシスタントが来るまでの間、石森先生のアシスタントを、僕はたった一人で務めることになった。石森プロに来てから、わずか2〜3ヵ月でのことだ。 <第11回/おわり>
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