石森先生は、どうしてあんなに速く絵が描けるのか。どうしてあんなに速く手が動くのか。もちろん運動神経もいいのだが、秘密の一つは、ペンの持ち方にあった。石森先生は、極端にペンを寝かせて持っていたのだ。真似してやってみると、ペンがすごく柔らかく使える。墨をたっぽんと付けて、サラサラサラとものすごく速く描ける。 |
一番大きかったのは、やはりマンガの描き方だ。自分に足りないところがハッキリとわかった。まず、石森先生のマンガを描くスピード。プロになるには、これほど速く描けなきゃダメなのか、と圧倒された。また、先輩アシスタントである野口さんの、すごくきれいで細かいペンタッチも、僕が持っていないものだった。それまでは全部自己流で描いてきて、そこそこ自信はあったのだけれど、なぜ自分がデビューできないのか、この違いなんだと納得するしかなかった。僕は、まず、ここを磨こうと思った。でも、殺人的なスケジュールの中で、石森先生や野口さんがいちいち描き方を教えてくれるわけじゃない。だから僕は、二人の描き方をよく見て、真似することにした。 石森先生は、どうしてあんなに速く絵が描けるのか。どうしてあんなに速く手が動くのか。もちろん運動神経もいいのだが、秘密の一つは、ペンの持ち方にあった。石森先生は、極端にペンを寝かせて持っていたのだ。真似してやってみると、ペンがすごく柔らかく使える。墨をたっぽんと付けて、サラサラサラとものすごく速く描ける。筆圧をそんなにかけなくても、太い線がサーッと描ける。あ、そういうことなんだなと初めてわかった。逆に野口さんは、ペンを垂直に近いくらいに立てて使っていた。そうやって描いてみると、固い線になる。なるほど、それで野口さんは、ものすごく細かい絵が描けるのだとわかった。この、極端に違う二人のペンの持ち方に感心しながら、両方とも僕は取得することにした。今でも僕は、この時に覚えたペンのテクニックを使っている。 勉強になったのは、マンガの描き方という具体的なテクニックだけじゃない。一人アシスタント時代には、仕事はもちろんものすごく大変だったが、特に勉強になることが多かった。アシスタントが僕一人だと、原稿が頭から順番に、必ず僕の所へやってくる。つまり、頭から読めるということだ。こういうストーリーはこういうこなし方をするんだな、こういう演出をするんだな、とか、すごく勉強になった。その前から全部目を通すようにはしていたのだが、目の前にいる石森先生から、原稿がインクが乾かないうちにどんどんやってくるのは、非常に刺激的だった。 この際だからいろんなこと聞かなきゃと思って、質問責めにした。石森先生は寡黙な人で、いつも面倒臭そうにブツブツとしか話さないのだが、なんとか口を開かせては聞き出した。例えば石森先生は黒澤の映画が好きだったので、そういう話題を振ってみるといろいろ喋ってくれた。今描いている作品のことや、昔の作品のこと、編集者のこと、漫画界の噂話、手塚先生の無茶苦茶なエピソードなど、何でも。そういう、今後の自分の人生に役立ちそうなものは聞き出してしまおう、石森先生から引き出せるものは、全部引き出してしまおうと、僕は考えたのだ。 |
他にも、石森先生の仕事場は本の宝庫だったので、それも貪欲に読んだ。特に、SF小説の蔵書はすごかった。ちょっと締め切りに余裕があると、先生の目を盗んで、机の横っちょに本を置いて、手だけ動かしながら読んだ。 話はちょっと横道にそれるが、僕はマンガっていうのはSFだ、と小さい頃からから思っていた。そう考えるようになったのは、やはり手塚治虫先生の作品を読んで育ったからだろう。小学校2〜3年生の頃は、小松崎茂先生が表紙を描いていた少年少女向けのSFシリーズが講談社から出ていて、それを貸本屋で借りては一所懸命読んでいた。それ以前にも、海野十三(うんの・じゅうざ)氏、山中峯太郎氏の作品や、冒険小説だけどSFの要素もあった、南洋一郎氏の作品を読んでいた。 中学生になると、『三国志』など古典を読み始めたせいか、ギリシア神話やドイツの神話『ジーク・フリート』などの、ファンタジーっぽいものにも手を出した。高校生になると、日本のSF。ちょうど小松左京さんが『日本アパッチ族』で、星新一さんが『人造美人』などのショート・ショートでデビューしていた。今日泊亜蘭(きょうどまり・あらん)さんの『光の塔』も強く印象に残っている。このへんから、もうどんどんSFにのめり込んでいき、海外のSF作家の作品を、手当たり次第に読んだ。『キャプテン・フューチャー』シリーズのエドモンド・ハミルトンを始め、ロバート・A・ハインライン、ジョン・ウィンダム、ジャック・フィニー、アルフレッド・ベスター、レイ・ブラッドベリ──きりがない。例の“オモライくん”に教えてもらった本も含め、石森先生のところにいる間に、様々なSF作品にふれることができた。これも、僕のいろんな作品の糧になっている。 石森先生のアシスタント時代には、こんなふうに、いろんなことが勉強になった。マンガ家としてデビューしたあと、本当に役に立った。ところで、この時期僕は故・石森(石ノ森)章太郎先生のもっとも近くにいた人間だということになる。そこで次回は、僕が肌で感じた石森先生の“天才”について、ちょっと書いてみようと思う。 <第13回/おわり>
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