前に石森先生の原稿を描く速さについて書いたが、大量の作品が描けたのは、単に手が速く動くというだけじゃなくて、もう一つテクニックがあった。それは、「ページをゴマカす」テクニックだ。ページをゴマカすといっても、落語の『時そば』みたいに、少ない枚数の原稿を渡すわけじゃない。ごく少ない時間で枚数を稼ぐ“技”を、編み出しては使っていたのだ。 |
その中でも、もっとも才気を見せたのは、デザインというか「アート」の要素をマンガの中に持ち込んだという点だろう。特に、その斬新なコマ割りは衝撃的だった。思いもよらないコマ割りをしていて、原稿が回ってきたときに、よくビックリさせられたものだ。僕はといえば、基本的にコマ割りは、読者が読みやすいようにと努力していたので、全部が全部を真似しようとは思わなかった。けれど、石森先生は、極論すれば奇をてらうことが目的では、と思えるときさえあった。読者を驚かすためには、読みにくくても構わない、という開き直りのようなものまで感じた。「どうだ、こんなコマ割りは誰もやらんだろう」という声が聞こえてきそうだった。 それに一番刺激されたのが、石森先生の師匠にあたる手塚治虫先生だった。手塚先生は当時『COM』という雑誌で『火の鳥』を連載していたが、その中で「オレにもこんなことができるんだぞ」といわんばかりの、非常に実験的なコマ割りを見せたりした。それまでマンガ表現を切り拓いてきたのは自分だ、という自負から、自分とは違う新しい表現の出現に、負けるもんかとライバル意識を燃やしたに違いない。手塚先生とは、そういう人だった。僕はそれを、この二人のせめぎあいはすごいな、と端で見ていてすごいスリルを感じた。 ところで、前に石森先生の原稿を描く速さについて書いたが、大量の作品が描けたのは、単に手が速く動くというだけじゃなくて、もう一つテクニックがあった。それは、「ページをゴマカす」テクニックだ。ページをゴマカすといっても、落語の『時そば』みたいに、少ない枚数の原稿を渡すわけじゃない。ごく少ない時間で枚数を稼ぐ“技”を、編み出しては使っていたのだ。例えば、ネームができる前に作品中の場所だけ決めて、アシスタントに「こういう背景を見開きで」と描かせておき、あとでネームができてから、それに合わせて先生が小さく人物を描いたことがあった。 もっと締め切りギリギリのとき用の、とっておきの技もあった。もう落ちるという本当の修羅場に、「屋根の上だから、瓦を見開きで描いてくれ」といわれたときには、僕も体力の限界にきていたから「そんなのできませんよ!」と突っぱねたが、「わかったわかった。闇夜にしよう。瓦の線だけ白く描いて、あとはベタでいいから」「……あ、それならできます」ということもあった。「日が照っていて、太陽の光が強くて影しか出ないんだ」といって、真っ白な紙に人物と影だけ描いて終わり、ということなんかも、石森先生は平気でやった。 |
こんなことを普通にやると、誰がどう見ても手抜きだとわかってしまうのだけれど、それを「狙ってやったんだな」と思わせてしまうところが、石森先生の天才的なデザイン・センスのなせる業だった。石森先生は、書き文字も本当に上手くて、独特の書体で、絵的に面白かった。だからマンガのタイトルも、ときどき自分でレタリングを起こしたりしていた。こういったアート的なセンスでは、本当に天才的だった。ストーリー・テリングの才能では、手塚先生がすごかったと思う。要するに、二人はそれぞれ違うベクトルの天才だったのだ。 石森先生はすごい勉強家で、いろんなものを取り入れるのがすごく上手だったし、演出やコマ割り、デザイン的な見せ方が天才的だったので、作品のクオリティーを高い水準に維持していたのだ。僕はアシスタントに入って、絵に関しては勉強することばかりだった。 しかし、石森先生のマンガ作りを間近で見ながら1年もたつと、だんだん欲求不満になってきた。たとえば石森先生は、せっかくのアイディアをもったいない使い方をする。自分なら短編1本分にするアイディアを、1コマか2コマで処理したりする。自分ならストーリー展開はこうするのにな、こういう場面ではこういうキャラクターを作るのにな、という思いがどんどん溜まるばかり──。そして、この溜まったものを早く吐き出したいという気持ちで、いても立ってもいられなくなってきた。早く自分の作品を描きたい、自分の思い通りのストーリーで、自分の生みだしたキャラクターを暴れさせたいという衝動が、抑えられなくなってきたのだ。 そこで、アシスタントをやるかたわら、なんとか時間を作って、自分の作品を描こうとした。最初は月に2日くらいある休みの日に、家に帰って一所懸命に描いていたのだけれど、5〜6ページを描くのに半年もかかった。その頃は、石森先生のところで鍛えたおかげで、背景を描くのも格段に速くなっていたのに。これはいかん、と僕は焦った。このままでは、30ページの読み切りを完成させるのに、あと3年もかかってしまう。でも、デビューも決まってないのに、アシスタントをやめるわけにもいかない。 そこで、僕は、ある決断をした。それは、デビュー後しばらくの、僕というマンガ家の評価を偏ったものにしてしまうのだが、このときは、こうする他に選択肢はなかったのだ。 <第14回/おわり>
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