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でも一方で、僕はそんなマンガ家という職業に不安を抱き始めていた。デビュー当時、僕の原稿料は1p1200円だったが、これは月に20〜30枚描けば、サラリーマンの月給くらいにはなるかな、という金額だった。だから、楽々食っていけると思ったのだが、仕事が増えてきて、連載が次々と決まり、アシスタントを一人二人と雇い始めると、アシスタントの給料で、たちまち赤字になってしまった。 |
デビュー当時は独りで描いていたのだが、半年後に『まんが王』で始めた連載『馬子っこきん太』の、2回目くらいだったろうか。ついに月間のページ数が100枚を超えた。「もう描けません!」と言ったら、編集部がアシスタントを連れてきてくれた。蛭田くんといって、小沢さとるさんのところで約2年間アシスタントをしていた人だった。これでもっと描けるだろう、さあ連載しろ、というわけだ。蛭田くんは、僕と同じようにアシスタント生活の厳しさを知っている人で、バリバリと仕事を手伝ってくれた。これで一安心し、逆に「もっと連載増やしても大丈夫だな」と思って仕事を増やし続けた。彼とは本当に馬が合った。現在は、彼の息子さんが僕のアシスタントをやってくれている。 石森先生のアシスタントをやっているとき、最初は「なんでこんなにどんどん仕事を受けちゃうんだろう」と思っていた。だけどそんな石森先生を見ているうちに、「こうしなければ、マンガ家は生き残れないのだ」という風に、自分の考え方も完全に変わっていた。デビューしてみると、他のマンガ家たちもそうだった。全員が、「とにかく来た仕事は断っちゃイカン、必ずやれ、それがマンガ家なんだ」という考えだった。だから当時は、マンガ家の中で、仕事の量を競うようなところがあった。「オレは今月何誌やったぞ」とか「オレは三日連続徹夜したぞ」とか、そういう自慢があちこちから聞こえてくるのだ。貝塚ひろし先生に「1週間徹夜したらね、耳から血がポタポタ出てきたんだよ」と聞かされたときには、「ど、どっから出てきた血ですか!」と怖くなったものだ。 みんなガッツがあるというか、ハングリーというか。僕らの上の世代、つまり戦争をくぐり抜けてきた世代の“凄まじさ”だろう。手塚治虫先生が率先してそうだった。速く描いて、しかも名作を次々と生みだしていく。だから、死ぬほど仕事をして初めてマンガ家なんだと、僕も思っていた。そういう時代だった。 |
でも一方で、僕はそんなマンガ家という職業に不安を抱き始めていた。デビュー当時、僕の原稿料は1p1200円だったが、これは月に20〜30枚描けば、サラリーマンの月給くらいにはなるかな、という金額だった。だから、楽々食っていけると思ったのだが、仕事が増えてきて、連載が次々と決まり、アシスタントを一人二人と雇い始めると、アシスタントの給料で、たちまち赤字になってしまった。 デビュー後、僕はアシスタントと仕事をするためにアパートを借りていた。6畳一間に台所の狭いアパートだった。机を入れるともう部屋は一杯、押し入れの上半分は階段の下で天上が斜めなので、徹夜のときは押し入れの下半分で2〜3人が寝る、というようなぼろアパートだったが、その家賃を払うのも大変だった。僕は、実家からお金を借りて生活していくしかなかった。なぜ、こんなに仕事をしているのに赤字なのか。いや、仕事が増えれば増えるほど赤字が大きくなっていく。これには本当に参った。 こうなった原因は、二つあった。一つには、その頃はまだ出版社に、単行本で利益を出すというシステムができておらず、マンガ家の収入も原稿料が全てだったのだ。描いた作品が必ず単行本になるのは、手塚治虫先生くらいだった。石森先生にしても、僕がアシスタントに入った頃、ようやく単行本が出たという状況だった。僕の場合『ちびっこ怪獣ヤダモン』は、『若木書房』という単行本出版社を紹介してもらったので、ようやく本にまとめることができた。そう、当時は雑誌の出版社と単行本の出版社は別々で、講談社や小学館にも単行本の部署はまだなかったのだ。『こだまプレス』という単行本の出版社が、「新書版」と呼ばれるマンガ単行本を出し始めて、これが定着しそうだということになってから、各雑誌出版社が参入していくようになった。だが、それはもうちょっと後の話だ。 もう一つの赤字の原因は、僕が「アシスタントに給料を払っていた」からだ。当たり前のこと思われるかもしれない。だが、当時のマンガ家のアシスタントは「内弟子」みたいなもので、住み込みで働くのが当たり前、家賃と相殺で給料は払わない、というのが半ば常識だったのだ。僕は自分がアシスタントで苦労したので、この悪しき慣習を何とか変えようと思っていた。世間のサラリーマンと同じように、ちゃんとお給料がもらえて、ちゃんと休みが取れる、マンガ家のアシスタントも、そんな職業にしたかったのだ。だから、自分は実家に借金しても、アシスタントには給料を払い続けた。でもその結果、自分が食えなくなったのだから世話はない。今までの「内弟子制度」も、案外正しかったのかな、とも思った。アシスタントに給料を払うと、自分が食べていけないのだから、なりゆきでそうするしかなかったのだろう。 それに、マンガ家という職業は根無し草で、保証のない世界だ。人気があるうちは仕事がどんどん来るけれど、「つまんなかったから、連載おしまい」と言われたらそれまでだ。これから先、ずっと原稿料だけでマンガ家として生きていけるのだろうかと、僕はものすごい危機感を感じていた。 では何をすればいいか。僕はもう決めていた。会社を作ろうと思ったのだ。 <第17回/おわり>
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