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きっと、自分のギャグに自分が飽きるときが必ず来る。そうなったら描いていくのはものすごく辛い。それに、一人の人間のギャグに、そんなにパターンがあるわけじゃない。読者はだんだんそれに慣れ、やがて飽きてくる。過去のマンガ家を見ても、一時期はすごくても、長続きした人はいない。赤塚不二夫先生ですら、大活躍した期間は意外に短いのだ。 |
でも、真面目に描けば人気が取れるかというと、そうでもないところがマンガの不思議なところで、気楽に描いているもののほうがウケたりする。たとえば『キッカイくん』(『週刊少年マガジン』)は、真面目に描けば描くほど、なんだか地味になってしまった気がする。逆に『あばしり一家』は、いい加減に……じゃなくて、ノリにまかせて描けば描くほど、人気が上がっていった。『ハレンチ学園』は、例の騒ぎが大きくなりすぎて、さすがに後半は鬱陶しくなり、滅茶苦茶な展開に持っていったのだけれど、そのラストが今でもファンの間で語り草になっていたりする。マンガというものは、本当にわからない。 これ以上新しい連載は絶対無理、何があっても絶対断ろうと思っていたら、ある雑誌に「どんな形でもいいから」と泣きつかれた。ふとひらめいて「じゃ、アシスタントとの合作でもいいですか?」と聞いてみたら、それでも構わないという。それが石川賢との最初の合作『学園番外地』(『少年画報』)だ。僕がストーリーを作り、口でわーっと喋る。それを彼がネームに切って、絵は二人で手分けして描く、というやり方だった。石川賢は当時いたアシスタントの中でも、特に絵が上手かった。だから僕は、早くデビューさせてあげたい、合作がそのきっかけになれば、と思ったのだ。彼のデビュー作は『それいけコンバット隊』(『月刊少年ジャンプ』)だが、実はこれ、僕に半分描きかけのネームがあったので「完成させてみたら?」と、彼にまかせてみたものだ。もちろん後半は彼が考えて作り、面白い作品に仕上げて、見事デビューを勝ち得た。 こういう「効率化」は進めていたが、別に楽をしたかったわけではない。仕事量は常に限界ギリギリだったし、一方で「もし連載させてくれたら、死ぬ気で描くのに!」というアイディアを、僕はいくつか温めていた。でも、それを編集者に話すと、どの雑誌の人でも、答えは決まって同じだった。「はいはい。でも、もっと面白いものにしようよ」「面白いんですけど」「いや、君はやっぱりギャグだよね。ストーリーものはやめたほうがいいよ」。そう、僕が描きたかったのは、ストーリーマンガだったのだ。しかし、いつも話は聞き流され、アイディアは絶対に通してもらえなかった。 |
要するに、みんな僕のギャグマンガが欲しかったのだ。僕が描くギャグならば、ウケることがわかっている。面白いかどうかわからないものを、わざわざ描かせることはない、というわけだ。でも、ギャグマンガでデビューして、ギャグマンガ家として人気を得ながらも、僕は「ギャグで作品を見せていくのは、いずれ限界が来るだろう」と思っていた。もちろん、編集者には口が裂けても言わなかったが、心の中では確信があった。 きっと、自分のギャグに自分が飽きるときが必ず来る。そうなったら描いていくのはものすごく辛い。それに、一人の人間のギャグに、そんなにパターンがあるわけじゃない。読者はだんだんそれに慣れ、やがて飽きてくる。過去のマンガ家を見ても、一時期はすごくても、長続きした人はいない。赤塚不二夫先生ですら、大活躍した期間は意外に短いのだ。生涯ギャグマンガを描いていくなんて、ほとんど不可能だと思った。僕は、できる限り長くマンガ家として活躍したかった。 そしてストーリーマンガなら、それが可能だと思った。いろんなテーマが選べるし、起伏のあるストーリー展開によって、一つの作品を長編として描き続けることもできる。それに、もともと自分はストーリーマンガの資質だったのに、デビューのためにギャグを描き始めた、という思いもあった。早くストーリーマンガを描きたい、ストーリーマンガならなんでもいい。デビューから2年くらい経過すると、そう思うまでになった。いつかは、ストーリーマンガ家としてやっていく日が来る。そのために、早く1作品ストーリーものを描いて、永井豪は面白いストーリーマンガが描けるんだ、というところを見せたかった。 チャンスは、突然やってきた。『週刊少年マガジン』が、「それほど描きたいのなら、読み切りで100p、自由に使っていいよ」と言ってくれたのだ。いつもギャグマンガを頑張ってくれているから願いを叶えてあげよう、というようなことを言われた記憶がある。僕は、ついに来たチャンスに興奮した。ストーリーものを描きたい描きたいと、しつこく言ってきた甲斐があった。このチャンスを逃すもんか、絶対面白いストーリーマンガを描くぞ、と張り切った。よく考えると、『キッカイくん』を週刊連載しながら、別に100pも同じ雑誌で描くことになったのだから、うまくダマされたような気もするけれど。 その、僕にとって最初のストーリーマンガが『鬼─2889年の反乱─』だ。遠い未来、人工人間が作られる。その時、本物の人間と区別するために、彼らに2本の“角”を付けたことから悲劇が始まる──という話。最近になって、後半のムードには映画『スパルタカス』(キューブリック監督)の影響があるかな、と気がついたが、もちろんストーリーは全然別物だ。読者の反応は、いいんだかよくないんだかわからなかった。周囲からも、絶賛も酷評もされなかったように記憶している。突然シリアスな話を描いたので、みんなとまどっていたのだろう。 でも自分の手応えは、充分にあった。面白いものが描けたと思った。その後も『週刊少年マガジン』『別冊少年マガジン』で、SF読み切り作品を描くことになり、だんだん出版社も「永井豪って、ストーリーものも描けるんだな」と思い始めたようだ。またこの頃になると、少年少女向けマンガ雑誌以外にも、ギャグマンガではあるけれど『ひどい巨塔』(『ビッグコミック』)、『社員はV』(『週刊読売』)と描いている。タイトルはいずれもTVドラマのパロディーだけど、わかるかな。 そして1971年の1月、「ストーリーものでもいいから、連載をやらないか」という話を『週刊ぼくらマガジン』のU編集長にもらった。この時始めた初の長編ストーリーマンガが、その後の僕の、マンガ家としての方向性を決めたと言っていいだろう。 <第24回/おわり>
(c)永井豪/ダイナミックプロダクション2002-2003 (c)Go Nagai/Dynamic Production Co., Ltd. 2002-2003 |
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