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『バイオレンスジャック』を完結させて、あらためて思ったのだけれど、『デビルマン』を描き上げたあと、この作品に対する想い、特にあのエンディングに対する想いが、僕の中に残っていたようだ。『デビルマン』の中で、僕は一つの“世界”を、そこに住む人々もろとも消滅させた。このことに対する贖罪の意識がのしかかっていた。 |
ジャックの正体については、僕のいつもの悪いクセで、あまり深く考えずに進めてきたけれど、いざそれを明かすとなると、生半可な正体では、僕自身納得できない。実は途中、ジャックの正体を凄ノ王につなげようとしたことがあった。しかしうまく繋がらず、結局は敵として登場させることになってしまった。 どうしたらいいのか、いろいろ考えているうちに、ふと気が付いた。「『デビルマン』のキャラクターは、不動明以外、全部出ているじゃないか!」。飛鳥了もいる。牧村美樹ちゃんもいる。でもなぜか、デビルマンだけは出していなかった。他の作品の、ほとんどあらゆるキャラクターは登場させたのに。ジャックを不動明、つまりデビルマンにしたらどうだろうか。巨大な人物だという設定も、説明がつく。「これだー!」と、僕は一人で興奮した。ジャック=デビルマン。このジャック=デビルマン、という結末は、読者の中には「納得できない」という人も多かったようだ。だけど僕にとっては、この結末以外にはありえなかった。 そう決めたら、もう一人の重要人物・スラムキングの正体も見えてきた。「こいつは、飛鳥了の分身、つまりサタンじゃないだろうか?」。思い返してみれば、序盤に“人犬”として飛鳥了を登場させていたときから、もうこの結末は決まっていたのだ。何か運命的なものを感じた。あとは、一気にラストに向かって突き進めばよかった。こうして、1973年から始まった『バイオレンスジャック』の物語は、1990年3月、ついに完結した。単行本にしてマガジン連載分7巻、ゴラク連載分31巻の、全38巻。これを上回る長編は、もうかけないかもしれない。 |
『バイオレンスジャック』を完結させて、あらためて思ったのだけれど、『デビルマン』を描き上げたあと、この作品に対する想い、特にあのエンディングに対する想いが、僕の中に残っていたようだ。『デビルマン』の中で、僕は一つの“世界”を、そこに住む人々もろとも消滅させた。このことに対する贖罪の意識がのしかかっていた。また、主要な登場人物である不動明、飛鳥了、牧村美樹ちゃんには、それぞれに非常に大きな想いをかかえさせたままで、作品を終わらせてしまった。その想いが、僕の中にもずんと重く残っていたのだ。 特に大きかったのが、飛鳥了の想いだ。不動明は、思う存分やれることをやって死んでいったので、あまり未練は残ってないと思う。しかし了は、不動明という親友をだまして巻き込み、明の愛する人を死に追いやり、人類を滅ぼし、一つの世界を消滅させ、最後に明を自分の手で殺したのだ。この了の悲しみは、あまりにも大きかった。“人犬”を描いたときには、どちらかというと面白がって了を使った。でも、そのとき了は、贖罪の意識から、自分を最低の境遇に追い込んだんじゃないか、と思えてしようがない。 つまり『バイオレンスジャック』という作品は、終わってみれば、『デビルマン』の贖罪の物語だったのだといえる。『デビルマン』で滅ぼされた世界が、『バイオレンスジャック』で復興するという構図なのだ。だから、この二つの作品はセットになっている。この“破壊と再生”という考えに思い至ってから、現実の歴史を俯瞰(ふかん)すると、同じようなことが繰り返されていることに気がついた。ある文明が破壊されて、その影響は全世界に及んで、その中から新たな復興が起こり、平和な時代が訪れ、それをまた壊す者が現れる──。 他に適当な言葉がないから、宗教用語になるけれども、まさに「輪廻転生」なのだ。『バイオレンスジャック』の世界は、『デビルマン』で死んだ人たちが転生した世界なのだ。誤解を恐れずにまた宗教用語を使うと、『バイオレンスジャック』の世界は、『デビルマン』の世界から見ると“地獄”なのだ。前世でひどいことをした人間たちが、創り上げた世界なのだから。でも、その“地獄”に生まれる人たちもいて、その人たちにとっては地獄が“現世”であり、世界をよりよい方向へ建設して“天国”を目指した。実現できれば、そこに生まれた人たちにとっては、“地獄”は“天国”なのだ。現実の世界も、戦争や餓えで苦しむ人にとっては“地獄”だろうし、平和で豊かな国に住む人にとっては“天国”だろう。 さらに、僕自身のストーリーマンガ家としてのテーマも、この「輪廻転生」なんじゃないかな、とわかった。僕は宗教家ではなく、もともとSFの人間なので、宗教でいう因果応報ではなく、「精神的な思念・イマジネーションが、物理的な世界にも影響を及ぼす」という言い方をしたい。「もう少しみんなで、自分たちの世界を良くしようよ」と考えれば、世界はそうなるに違いない。そういうメッセージも、『バイオレンスジャック』には含まれていると思う。 宗教が“欲望”を禁じるのも、科学的に見れば道徳や倫理の問題ではなく、みんなでパイを分け合うほうがバランスが保たれて平和だし、独占する者が現れると、それを狙う者が出る、ということだ。精神的な思念が、現実の平和につながるのだ。 ……でも、正直に言えば、ちょびっとは、他人よりいい目にあいたいよね。誰よりも頑張ってきたんだし。せめて、ゴルフにもうちょっと行けるくらいには……。 <第43回/おわり>
(c)永井豪/ダイナミックプロダクション2002-2003 (c)Go Nagai/Dynamic Production Co., Ltd. 2002-2003 |
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