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手塚治虫先生の作品の中にも、エロティシズム・ポイントがあると思う。まず、手塚先生の作品には「解剖」の場面が多い。『ブラックジャック』はもちろん手術の場面だらけだが、他の作品でもよく解剖の場面が見られる。アトムも、しょっちゅうお腹を開けられたりしている。解剖という行為には、エロティシズムのポイントが確かにあるように思う。 |
あの手この手でエッチなマンガをたくさん描いてきた僕だけど、純粋に読者にウケたい、喜んでもらいたいと思って描いたにすぎず、自分自身のシュミは、いたってノーマルで地味だ。結婚したのが遅かったので、「永井豪はそっちのケがあるんじゃないか?」という噂がたったこともある。確かに昔から、そういうお誘いを受けることは多いけれど、残念ながら僕自身にそのケはない。 いや、かなり前だが僕のサイン会に、ものすごく綺麗な男の子が来たことがあって、ヘタな女の子(?)よりもはるかに可愛らしいものだから、胸がドキン! としたのを覚えている。だから、今後絶対にそうならないとも限らないから、「今のところ、そのケはない」と言っておこう。もちろん僕はそういった、エロティシズムに関する他人のシュミを否定する気はない。それどころか、百人いればエロティシズムも百通りある、と思っている。 僕の場合、最初にエロティシズムを感じたと自覚したのは、幼稚園の頃。『少年王者』という絵物語を読んだときだった。作者の山川惣治氏が、リアルなイラストと文章で読ませる作品で、マントヒヒにさらわれた男の子が、逞しく育ってジャングルの王になるという冒険物語だ。その、マントヒヒに主人公の裸の男の子がさらわれる場面を見たとき、「おお!」と危ない感覚と興奮を感じた。これが、最初にエロティシズムを感じた瞬間だと思う。 後になって、僕のエロティシズムのポイントは、男の子の裸ではなく、どうやらマントヒヒのほうにあったんだなとわかった。いや、別にマントヒヒを見ると興奮するわけではない。「裸のきれいな子が、マントヒヒにいじめられている」──というシチュエーションに、強烈なエロティシズムを感じたのだ。それがわかったのは、SF映画『地球防衛軍』(1957年)を観たときだった。富士山麓に出現した怪獣モゲラが大暴れするお話だ。その中で、女優の白川由実さんがお風呂に入っているときモゲラが現れる、という場面があったのだが、ここで異常にドキドキした。白川さんは、ただ肩までお風呂につかっていただけだったのに、「美女とモゲラ」という組み合わせに、グッときたのだ。 つまり僕は、「美女と野獣」というパターンにエロティシズムを感じるようなのだ。自分の作品を見ても、『デビルマン』『キューティーハニー』『デビルマンレディー』をはじめとして、「美女と野獣」というパターンがたくさん出てくる。『ハレンチ学園』も、ある意味そうだ。そして、このパターンにグッとくるのは、そう個人的なことでもないようだ。アメリカでも、映画『キングコング』や『ターザン』がそうだし、パルプ・フィクションのカバー絵などは、だいたいが「宇宙人や怪物と、悲鳴を上げている美女」という組み合わせだ。万国共通のエロティシズム・ポイントなのかもしれない。 |
そういう人はかなり少数派だろうが、でも人気マンガ作品には、必ずどこかエロティックな要素がある。逆にいえば、マンガ家は、多くの人がエロティシズムを感じるポイントを作品に取り込むことができれば、読者をワクワクドキドキさせることができる。読者を、直接エッチな気分にさせなくてもいい。健全な目で見ながらも、読者はサブリミナル的に、無意識のエロティシズムを感じ、惹き付けられてしまうからだ。 例えば、手塚治虫先生の作品の中にも、エロティシズム・ポイントがあると思う。まず、手塚先生の作品には「解剖」の場面が多い。『ブラックジャック』はもちろん手術の場面だらけだが、他の作品でもよく解剖の場面が見られる。アトムも、しょっちゅうお腹を開けられたりしている。解剖という行為には、エロティシズムのポイントが確かにあるように思う。一方で僕の作品は、切った張ったは多くても、内臓を描いたことはほとんどない。苦手なのだ。第一、僕は尿酸値が高いので、内臓料理は食べられないし。 それから手塚先生の作品には、人間が「溶ける」という場面も多い。『メトロポリス』『クレーター』などの作品がそうだ。この「柔らかさ」に感じるエロティシズムは、手塚先生の描線の柔らかさにも通じている。特に、女性の体の線などは、本当に柔らかい。実際に先生は、猫や兎といった動物、それにアトムを、女の子のつもりで描いている、と言われていた。だから先生の描かれるキャラクターたちに、なぜかエロティシズムを感じてしまうのだろう。 マンガ界で一番立派な作家である手塚先生にも、こういうエロティシズム・ポイントがある。もちろん手塚先生の作品が愛されるのは、ストーリーの素晴らしさ、キャラクターの魅力など、全てにおいてズバ抜けているからだ。でもそれに加えて、さらにこれらのエロティックな暗喩が、読者を強く惹き付けている、とも言えるのではないだろうか。僕の場合だと、「美女と野獣」パターンという、自分自身のエロティシズム・ポイントが、読者を惹き付けるのに一役買ったのだと思っている。 で、結局何が言いたいかというと、あの手塚先生でもそうなのだから、“ハレンチマンガ家”と呼ばれる僕が、エッチな場面を描くのは当たり前だ、ということなのです。どうか、あんまり目くじらをたてないでね……。 <第51回/おわり>
(c)永井豪/ダイナミックプロダクション2002-2003 (c)Go Nagai/Dynamic Production Co., Ltd. 2002-2003 |
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