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自分の好きな雑誌、好きな作家以外には見向きもしない、という人が増えているようなのだ。自称“マンガ好き”という人が二人、出会ったとしよう。お互いにマンガが好きだとわかって、「君は誰のマンガが好き?」と話が始まる。でも話してみたら、「へえ、そんな作家いるんだ」と、お互いに相手の好きな作家を一人も知らなかった、ということもありうる。 |
最近僕は、学習研究社の新しいマンガ雑誌『コミック ビッグゴルフ』に、『ハレンチゴルファー十べえ』という作品を描いた。タイトルでおわかりのように、『ハレンチ学園』のゴルフ版だ。ゴルフマンガといいながら、読むとゴルフと全然関係ないことをやっているのだけれど。それはさておき、ついに僕にも「ゴルフマンガ雑誌」から仕事の依頼がくるようになった。もっとも、今ゴルフをやっている人たちは、みんなマンガを読んで育った世代だ。だからゴルフ雑誌には、必ず2〜3作品のマンガが連載されている。第一、僕を含めてマンガ家たちは、こぞってゴルフをやっている。講談社も、是非ゴルフマンガ雑誌をやったらどうだろうか。 「麻雀マンガ雑誌」という分野があって、以前は出版社数社がしのぎを削っていたけれども、現在は1社しか残っていない。その代わり「パチンコ」「パチスロ」「競馬」それに「ゴルフ」と、ギャンブルや娯楽を扱ったマンガ雑誌の種類は、飛躍的に増えている。少年誌を見ても、「アニメ系」「ゲーム系」「マニアック系」「エッチ系」など、ものすごい数の読者を選ぶ雑誌が生まれている。さらに、同人誌もたくさんある。マンガ雑誌の数は、僕がデビューした頃の数十倍、ことによると数百倍になっているかもしれない。 原因は、「世の中に流れる情報量の増加」だろう。情報があふれかえるようになると、全体を見渡すことができなくなる。そうなると、自分の興味のある情報だけを、細かく選んで取り入れるようになる。選択肢は無数にあるから、みんな微妙に違うモノを選ぶ。ひとつを選ぶと、それだけでいっぱいいっぱいになって、他のことまで手が回らない。その結果、「趣味の多様化」が起こる。つまり、みんなが共通してやっている趣味・娯楽というものがなくなって、みんながそれぞれ違うことを楽しむようになったのだ。 他の人から見たら「何やってんだ、あいつら」としか思えない趣味が、その人たちのコミュニティーでは、それが最高の趣味・娯楽だったりする。そういう時代なのだ。例えばカラオケに行ったとする。昔は、誰かが入れた歌をみんなで歌えたものだけれど、今はどうだろう。「これ、誰の歌?」「へえ、こんな歌あるんだ」と、お互いを異星人を見るような目で見ている状況が、すでにあるんじゃないだろうか。 マンガ雑誌についても、同じ現象が起きている。自分の好きな雑誌、好きな作家以外には見向きもしない、という人が増えているようなのだ。自称“マンガ好き”という人が二人、出会ったとしよう。お互いにマンガが好きだとわかって、「君は誰のマンガが好き?」と話が始まる。でも話してみたら、「へえ、そんな作家いるんだ」と、お互いに相手の好きな作家を一人も知らなかった、ということもありうる。昔は、ヒットしたマンガ作品は、あらゆる年代の人が知っていた。でも、今はどうだろうか。ベストセラー作品でも、意外に知らない人が多いんじゃないだろうか。 |
こうなると、出版社も大変だ。まだ少年誌では、そんなに読者の子供たちの趣味は多様化してないと思う。だれど、青年誌や一般誌は別だ。これだけ細分化した趣味の「壁」を越えて、作品をヒットさせていくのは難しい。雑誌の中でダントツに人気があっても、単行本はちっとも売れないということもあるだろう。だからといって、その分たくさんの雑誌をいろんな層に向けて出していこうとすると、今度は人件費がかさんでしようがない。 それに、これだけマンガ雑誌の数が増えたわけだけれど、全体のパイは変わってないような気がする。ちょっと前まで100万部を越えていた青年誌は、軒並み部数を3分の1に減らしているという。さらに、不景気の影響で、マンガ読者の財布の紐も固くなっている。青年誌・一般誌の読者である大人は、他にもお金を使う選択肢が多い。雑誌を買うのを我慢して、単行本を待つならまだいい。我慢した予算がお酒や別の趣味に回ることも多い。単行本も、新古書店で買うとか、マンガ喫茶で読むとかで済ませかねない。新刊の単行本を買うのは、よほど熱心なファンだけになってきている。
とまあ、いろいろ悲観的な話ばかりを描いてきたけれど、世の中の流れを嘆いてもしようがない。マンガ家にとっても大変な時代だけれど、ものは考えようだ。多用なマンガ雑誌が増えるということは、それだけ描く場所が増えるということだし、描けるテーマが増えたと考えればいい。それに、マンガ雑誌以外の雑誌でも、中にマンガを載せる傾向は、どんどん強くなっている。ゴルフ雑誌がそうだと書いたけれど、車の雑誌や情報誌、それに通販カタログ雑誌だって、マンガを載せるようになっている。マンガ家が活躍できる場所は広がっている、と考えたい。 出版社も、今後は「紙の出版物」だけにこだわってもいられなくなるだろう。『Web現代』のように、ネットはもっと使っていかなきゃいけないだろう。それに、テレビとの競合を考えると、「映像」には真剣に乗り出していかなきゃならないと思う。かつて角川春樹さんが、角川書店という老舗の出版社を、一気にメディアミックスの会社に持っていったことは、経営者としては正しかったんじゃないだろうか。 でも、マーケティング的に「角川みたいなことを誰かにやらせよう」という姿勢ではダメだろう。「やりたい!」という人が出てきて、そういう“執念”がある人にやらせないと。やっぱり、何をやるにしても中心にいるのは人間だ。ソフトは、人間の脳味噌から出てくる。大衆の脳味噌が欲するものは、作る側の脳味噌から生み出すしかない。これは、マンガや出版物に限らず、日本が生産するもの全部について言えることだと思う。 なんだか、大きな話になってしまった。でも、いいモノを模倣することや、古いモノを大事にすることも大切だけれど、それで一番になったら、お手本がなくなってしまって、結局は全体がダメになってしまう。それに新しいモノがないと、世の中つまらない。僕はマンガ家として、どんな世の中になっても、新しい挑戦をし続けて、作品を描き続けていきたい、と思うのだ。 <第55回/おわり>
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