永井豪天才マンガ家の作り方教えます! 永井豪、初の自伝的エッセイ 豪氏力研究所

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永井豪と愉快な仲間(2)〜ゴルフ仲間とマンガ家仲間〜 残念なのは、僕がマンガ家で一番仲の良かったあきおちゃん──ちばあきおさんが亡くなったことだ。彼はやさしくて他人にすごく気を遣う人なので、一緒にいて楽しく、いろんなところへ遊びに行ったり、旅行にでかけたりした。


古谷一行さんの猛練習
 SF作家クラブの仲間は、イベントもあるのでちょくちょく会うことができるのだけれど、そうでない友人、たとえばマンガ家仲間などは、パーティーで会うくらいになってしまう。高校時代の友人に至っては、なかなか会うきっかけもない。連絡を取っても、お互いに忙しいので「そのうち会おう」でズルズルと月日が経ったりする。でも、「ゴルフに行こう!」ということになれば、話は別だ。現金なことに、忙しくても無理矢理時間を作って集まったりする。そういうわけで、ゴルフは僕にとって、貴重なコミュニケーションの手段でもあるのだ。

 僕が卒業した板橋高校には、2年先輩に俳優の古谷一行さんがいた。高校生の頃から目立つタイプで、ラグビー部で活躍して異彩を放っていたので、芸能人になったのもよくわかる。在校当時から知っていて、卒業後もお付き合いしていただいているけれど、会うのはもっぱらゴルフ場だ。二人で中心になって、板橋高校のOBだけで構成されている「GOGO一行会」という会を作り、山梨のゴルフ場をホームコースにしてコンペをやっている。日取りは、当然、先輩である古谷さんに決定権がある。

 ゴルフは僕が先に始めたのだけれど、古谷さんもすぐに夢中になった。やはりスターは、何でもカッコよくこなさないと気が済まないらしく、最初から半端な練習量じゃなかった。大ヒットしたドラマ『オレゴンから愛へ』の撮影中など、オレゴン州のロケ地のでは、歩いていけるところにゴルフ場があったそうで、撮影の合間を縫って1ヵ月以上、毎日通っていたらしい。久しぶりに会ってラウンドしたら、それまで負けたことがなかったのに、いきなり10打も差を付けられてビックリしたのを覚えている。板橋高校では、同期生に俳優の村野武範くんもいるのだが、あまり遊んでくれない。今度は無理矢理ゴルフに誘ってみようと思っている。

 マンガ家の友人と遊ぶのも、ゴルフということになる。マンガ家は、ふだん家に閉じこもっている人が多いので、スポーツとかは嫌いかと思ったら、とんでもない。ゴルフをやる人は、かなり多いのだ。中でも有名なのは、本宮ひろ志さんだろう。彼も、ゴルフを始めたのは僕より遅かったのだが、運動神経がいいのでどんどん上手くなり、今やアンダーパーで回ろうかという腕前。一緒にラウンドするのが気が引けるくらいだ。本宮さんが言い出した「マンガ会」というゴルフの会もあった。一時期は中断していたが、最近、小池一夫さんが中心になって復活したらしい。そういったマンガ家同士の会のほか、出版社が主催するコンペもあるので、そういう時は積極的に参加して、ゴルフを楽しみながら旧交を温めることにしている。

 残念なのは、僕がマンガ家で一番仲の良かったあきおちゃん──ちばあきおさんが亡くなったことだ。彼はやさしくて他人にすごく気を遣う人なので、一緒にいて楽しく、いろんなところへ遊びに行ったり、旅行にでかけたりした。スポーツも万能だったので、当然ゴルフも上手く、彼のご兄弟であるちばてつや先生や七三太朗さんたちと、何回も一緒にラウンドした。彼と一緒にやるゴルフは、本当に楽しかった。今でも、いい思い出だ。


恐るべき女子高校生
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僕の尊敬する手塚治虫先生と。
 そうそう、ゴルフに夢中なマンガ家で、身近な人を忘れていた。石川賢ちゃんだ。やっぱり僕の誘いでゴルフを始め、以前はヘンな打ち方をしていたけれど、負けず嫌いな性格もあって、彼にも腕前では追い越されてしまった。僕の兄弟は全員ゴルフをやるので、特別なコンペやお付き合いがなくても、よくダイナミックの仲間でコースに出かける。最近は“先生”扱いされるようになってしまった僕だけれど、兄弟や古い友人、アシスタント連中は、誰もそんなことを思っていない。いまだに「豪ちゃん」呼ばわり。だから、気楽に楽しむことができて嬉しい。

 そういえば、石川ちゃんがアシスタント希望で来たときのこと。僕は用事があって出かけていて、留守中に面接に来たのだけれど、そのときもう人数は揃っていたので、彼はあやうく不採用になるところだった。そこへたまたま僕が帰ってきて、彼の絵を見せてもらい、「いいじゃない、人数オーバーだけど入ってもらおうよ」と言って、それ以来の長い付き合いだ。あのとき、僕が帰ってなかっいたらと思うとゾッとする。もしそうなっていたら、ダイナミックプロのゴルフのメンバーが、一人足りなくなる……。

 ゴルフの話はこれくらいにして──。僕は、女性のマンガ家さんにも友人が多い。中でも、竹宮恵子さんと萩尾望都さんは、SF作家クラブのメンバーでもあるので、お会いすることが多い。特に竹宮恵子さんは、彼女がデビューする前、僕が石ノ森章太郎先生のアシスタントをやっているときからのご縁だ。当時、小山田くんというのちにダイナミックプロに入る知人が、『宝島』というマンガの肉筆回覧誌を主宰しており、女子高校生だった竹宮さんも、その同人だった。なにしろ旺盛な執筆量で、どうかすると雑誌の半分が竹宮さんのマンガになっていたらしい。この『宝島』に参加していた人は、ほとんどがプロになっている。尾瀬あきらさん、土田よし子さん、北見けんいちさんなどがそうだ。

 その竹宮恵子さんが、修学旅行を利用して、石ノ森先生を訪ねてくることになった。すごいパワーでマンガを描く人なので、どんなごつい女子高校生が来るのかと思ったら、メガネをかけた小柄な女の子で、みんなビックリした。彼女は、石ノ森先生のアシスタントをやりたいと言っていたのだが、当時の修羅場を身をもって体験していた僕は、必死で思いとどまるように説得した。また、彼女の才能なら、すぐにデビューできるだろうとも思っていた。その後の竹宮さんの活躍は、ご存じの通りだ。

 萩尾望都さんは、一時竹宮恵子さんと一緒に住んでいたことがある。ウチにいたマンガ家の桜多吾作くんが竹宮さんと友だちで、そのツテで、萩尾さんが桜多くんのお手伝いにきてくれたことがあった。萩尾さんは、すでに衝撃のデビューを飾ったあとだったので、みんな「えー! なんで萩尾望都がここにいるの!?」とビックリしたものだ。

 さて、ここまで描いて、大事な人について触れてないことにをお気付きだと思う。そう、手塚治虫先生だ。次回は、僕の「マンガ家としてのお父さん」とも言える、手塚先生との思い出を書いてみたい。


<第59回/おわり>

(c)永井豪/ダイナミックプロダクション2002-2003
(c)Go Nagai/Dynamic Production Co., Ltd. 2002-2003



永井豪(ながい・ごう)
1945年9月6日、石川県輪島市に生まれる。石ノ森章太郎氏のアシスタントを経て、'67年『目明しポリ吉』でデビュー。'68年『ハレンチ学園』を連載開始、たちまち大人気を博し、以後現在に至るまで、幅広いジャンルの作品を大量に執筆し続けている。代表作は『デビルマン』『マジンガーZ』 『凄ノ王』『キューティーハニー』など多数。


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