永井豪天才マンガ家の作り方教えます! 永井豪、初の自伝的エッセイ 豪氏力研究所

編集者という人たち(1) 僕は編集者の持っている「何か」をキャッチしてしまい、それが作品に跳ね返ってくるようなのだ。編集者の持っている、精神的なエネルギーに反応するとでもいおうか。だから、特に打ち合わせをしなくても、担当者によって、作品の性質がガラッと変わってしまう。それどころか、編集者によって、僕の中から全く別の作品が出てきてしまう。


編集者には、実にいろんな人がいる
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若い頃は仕事の合間に、束の間の睡眠をむさぼった。
 デビューしてから36年がたったけれど、毎年毎年、新しい編集者がやってくる。常時だいたい10人くらいの編集者がやってきているから、今までに仕事をした編集者の数の合計は、たぶん100人じゃきかないだろう。正確に数えたことはないけれど、200人近いかもしれない。この編集者という人たち、実にいろんな人がいる。そして僕の作品に、大きな影響を与えてくれることも多い。

 まず、初めて連載するまでに、僕は3人の編集者とかかわった。最初の担当編集者と言えるのは、『ぼくら』(講談社)にいたTさんだ。デビューの経緯(いきさつ)のところでもふれたように、当時石ノ森先生のところで知り合ったTさんに、持ち込みに行ったのだ。しばらくのちに、ある連載作品が落ちそうだというので、代わりの原稿としてTさんが僕の原稿持ち出したら、それを見たH編集長が目に留めてくれた。そして、アニメ『ヤダモン』のマンガ連載に抜擢してくれることになったのだ。

 連載の前に、練習台として読み切りを1本描かされた。このデビュー作『目明しポリ吉』の担当者になったのがSさんだった。このSさんが『ヤダモン』の担当もやってくれるのかな、と思ったら、連載スタートのときには、Kさんという編集者が担当になった。そして、Sさんはそのあと『オモライくん』『デビルマン』などの作品を、担当してもらうことになる。Sさん、Kさんのお二人とは、このあととても長いお付き合いになった。

 編集者には実にいろんな人がいる、と書いたけれど、この二人を比べただけでも、そのことがよくわかる。Kさんはとにかくやさしくておおらかな人で、よく一緒に旅行に行ったり遊びに行ったりした。『ヤダモン』のあとには『アラーくん』を担当してくれたけれど、どちらも僕のギャグの中では、ほのぼのとした作品で、担当者がKさんだったという影響が大きいな、と思える。

 Sさんは、僕がそれまでギャグしか描いていなかったにもかかわらず、僕のリリシズムというか叙情性を、思いっ切り引き出そうとする人だった。ストーリーについては、細かいことは何も言わず、とにかく情緒的な部分を大事にしてくれ、いいところを出したときはすごく喜んでくれた。だから僕も、非常にノッて描けた。『オモライくん』の中にあるペーソスは、Sさんの存在が大きいし、『デビルマン』に至っては、Sさんが担当でなければ、全く違うテイストの作品になったかもしれない。Sさんは病気で亡くなってしまったけれど、本当に残念でならない。


まず、この人を面白がらせよう!
 この二人の担当編集者と、彼らが担当してくれた作品を見ると、あたらめて編集者の作品に対する影響は大きいな、と思える。そのあと描いた別の作品と、その担当編集者を思い返してみても、やはり同じことが言える。とは言っても、作品のプロットやストーリーに担当編集者がかかわっている、という意味ではない。編集者の中には、打ち合わせと言っても世間話をするだけで、ほとんどおまかせの人もいた。でも、作品にはその人の影響が表れていたりするのだ。

 これはどういうことかというと、僕は編集者の持っている「何か」をキャッチしてしまい、それが作品に跳ね返ってくるようなのだ。編集者の持っている、精神的なエネルギーに反応するとでもいおうか。だから、特に打ち合わせをしなくても、担当者によって、作品の性質がガラッと変わってしまう。それどころか、編集者によって、僕の中から全く別の作品が出てきてしまう。だから、本当のことを言うと、僕の場合、作品のストーリーや構成など、内容にかかわる話は、編集者とはしてもしなくても関係なかったりする。その編集者がどういう人か、のほうが重要なのだ。

 ほかの例で言うと、『ハレンチ学園』の立ち上げ時に担当してくれた集英社のAさんは、「オレはギャグしかダメ。ムズカシイものはワカンナイからね!」と言い切る人だった。そのおかげで、あのようなエッチで過激なギャグが引き出されたのだと思う。『けっこう仮面』のイントロに付き合ってくれたのも、Aさんだった。結果として僕は、Aさんが好きなテイストの作品を、これまで描いたことがないのに描いてしまっている。

 マンガ家にとって担当編集者は、第一の読者だ。だから僕の中に、その人を読者代表としてとらえて、その人を面白がらせようという意欲がわいてくる。「よし、この人が喜んでくれるものを出すぜ!」という感じだ。そして、原稿を渡すときには「どうだ、面白いだろう!」と言う気持ちで出す。誉めてくれても、面白がってくれなかったら顔でわかるから、「よし、次はもっと驚かしてやるぞ!」と闘志がわいてくる。そうやっていると、無意識のうちに、自分がこれまで開けたことのない引き出しを開けてしまうのだ。

 そういう意味では、いろんな編集者と仕事することも大事だ。一人とばかり仕事していると、同じ引き出しばかりしか開けなくなるからだ。編集者の中には、「もう会いたくないなあ……」と思うような、苦手なタイプの人もたくさんいる。でも、そういう人と会うことで、全く思いもよらなかった引き出しを発見することもある。付き合いやすい人でも、エネルギーの弱い人だと、大した作品にならなかったりする。嫌いでもエネルギーの強い人が来ると、こっちも一所懸命対抗するから、全力を出し切れたりするのだ。

 この、人のエネルギーに反応する体質、仕事を離れると、ちょっと困ったことが起きてしまう。うちの奥さんによると、僕が道を歩いているとき、後ろから追い越そうとする人がいると、なぜかその人の前に出て進路を妨害してしまうらしいのだ。その人がよけると、今度はそっちに行ってしまう。いわば、マンツーマン・ディフェンス状態になるのだ。もう何度、「ほら、通してあげて!」と、うちの奥さんに笑いながら腕を引っ張られたことか……。


<第62回/おわり>

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永井豪(ながい・ごう)
1945年9月6日、石川県輪島市に生まれる。石ノ森章太郎氏のアシスタントを経て、'67年『目明しポリ吉』でデビュー。'68年『ハレンチ学園』を連載開始、たちまち大人気を博し、以後現在に至るまで、幅広いジャンルの作品を大量に執筆し続けている。代表作は『デビルマン』『マジンガーZ』 『凄ノ王』『キューティーハニー』など多数。


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豪氏力研究所  りてる


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