永井豪天才マンガ家の作り方教えます! 永井豪、初の自伝的エッセイ 豪氏力研究所

編集者という人たち(3) また、どんなに苦労しても、売れないとダメなのだったら、思いつきで、その場の勢いでわっと描いても、結果が良ければいいんだと、開き直れるようになった。そういう意味では、作品づくりに非常に大胆になれた。一方で、効率が悪くても、自分の中でじっくり煮詰めながら描きたいときは、そうできるようになった。


「マンガは、結果だよ」
 いろんな歴代担当編集者の話を書いてきて、他にも面白い話はたくさんあるけれど、いちいち挙げていくときりがない。そこで、僕が特に印象に残っている編集者の「言葉」を、二つご紹介したい。まず、マンガ家としてのスタイルというか、作品づくりにおいての態度を考えさせてくれたのが、僕がデビューの頃『ぼくら』の編集長をやっていたHさんだ。その言葉とは、本当にたった一言。「マンガは結果だよ」と、これだけだ。

 僕は、僕なりに考えた結果、こういうことだと理解した。マンガを描く上で、途中どんなに苦労をしても、結果が出なければダメだ。途中の行程は、関係ない。どれだけ調べものをして、一所懸命考えて描いても、その結果、売れなかったら何にもならない。逆に言えば、途中がどうあれ、売れるマンガを作ったら、その人の勝ち。それがプロなんだと。

 この言葉によって、僕はマンガの描き方で悩むことががくんと減った。そしてまず、デビューして間もなかったけれど、アシスタントを雇うことにした。一人で描いて時間が足りなくなり、荒れた原稿を出すよりは、アシスタントを使ってクオリティーの高い原稿を出したほうがずっといい結果が出る、と思ったからだ。アシスタントを雇うにあたっては、まだ早いとか分不相応だとか言われたりしたけれど、そうするのが最善だと判断したから、何を言われても平気だった。

 また、どんなに苦労しても、売れないとダメなのだったら、思いつきで、その場の勢いでわっと描いても、結果が良ければいいんだと、開き直れるようになった。そういう意味では、作品づくりに非常に大胆になれた。一方で、効率が悪くても、自分の中でじっくり煮詰めながら描きたいときは、そうできるようになった。どんなやり方をしてもいいんだ、と思うと、非常に楽になった。

 デビューしたての頃は、編集者の意見は聞かなくちゃいけないのかな、とか、逆に、他人の意見に流されていいんだろうか、と思い悩むこともあった。しかし、結果が第一だと考えると、迷わなくなった。他人の意見が入って面白くなり、読者が喜んでくれるんだったら、それが一番いい。反対に、自分の意見が絶対に正しいと思ったら、もう何と言われても聞かない。何よりも、読者が喜んでくれるものを作る、それがプロだと考えたのだ。


よし、捕まえてもらおう!
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常識と良識を破壊してきた男。
 もう一人、Mさんという『週刊少年マガジン』の編集長が僕に言ってくれた言葉も、すごく印象に残っている。「雑誌が硬直してきたら、思い切って、まるっきり異端なものを入れなきゃダメだ」という言葉だった。この考え方は、前任のU編集長時代から始まったものらしいけれど、実際にU編集長もM編集長も、作家の導入に関しては、かなり滅茶苦茶な冒険をしていた。ときには「あんなヤツのマンガをオレの隣に載せるな!」と、もとから描いているマンガ家が怒るような作家を連れてきたこともあった。

 僕にそういうことを言ったのは、Mさんが僕のことを「異端」だと思って、雑誌の硬直化した部分を壊すことを期待していたかららしい。「舗装された道を行くのは、確かに快適だ。しかし、荒れ地や砂利道を進むことこそ有意義なんだ。いばらの道を行け!」と、よくハッパをかけられた。そこで、「よし、いばらの道を進もう!」と、本気で少年マンガのタブーを破ると、「こんなの載せられないよ」とボツにされ、「あんたが一番いばらだ〜!」と頭を抱えることもあったけれど。

 でも、Mさんの言ったことは間違ってないと思う。というのは、最近、どのマンガ雑誌を見ても、似た傾向の作家がずらりと並んでいるなあ、と思えるからだ。雑誌ごとのカラーはすごく強いのだけれど、その雑誌だけで見ると、ギャグもあったりショートもあったりするのだが、全部の作品がすごく似た印象を受けるのだ。昔は、雑誌の中にももっとバラエティーがあった。あるときうちの社長が、2冊のマンガ雑誌を見比べて、「これ、半分ずつ作家を入れ替えたら、両方ともすごく面白い雑誌になるんじゃないかなあ」と言ったことがある。僕も、なるほどと同感したものだ。

 おそらく、会議がたくさんあって、そこで編集長が「こういうマンガを作れ!」とガンガンやっているのだろう。よく言えば、編集長の意志が隅々にまで行き渡って、雑誌全体の意見が一致しているのだ。そして編集部全体が同一化されると、それはマンガ家に反映されることになる。でも「破壊がないところに創造はない」とよく言われるように、同じようなマンガばかりになっていって、雑誌は大丈夫なのだろうか。この状態が、マンガが、特にマンガ雑誌が売れなくなったと言われる状況と、無関係ならいいのだけれど。僕は、もっぱら「破壊」のほうを期待されて、それに応えて来たから、余計にそう思えるのだ。

 当時、いったん「異端」「破壊」の作家というイメージが定着すると、雑誌のほうでも、「なんでもやっていいですから」という殺し文句で仕事の依頼に来るケースが増えてきた。でも、「じゃあ!」と張り切って描くと、前出のMさんと同じく、「これはちょっと……」と言われることになる。「なんでもやっていいって、言ったじゃないですか」と噛みつくと、「まさか、ここまでやるとは思わなかった」。オレを甘く見ているな? オレには常識はないぜ! いや、冗談ですけど。

 その点、『スコラ』の編集長のSさんは、肝の据わった人だった。「思いっ切りやってください。私は警視庁に行くのは慣れてますから」と言ってくれたのだ。グラビアの写真のほうで、何度も警視庁に呼ばれているという。そこで、「よし、何としてもこの人を捕まえてもらおう!」と頑張って『バラバンバ』を描いたら、本当に捕まってしまった。

 そういう僕なのだけれど、どうでしょう、全国のマンガ雑誌の編集長。今からでも遅くないから、僕にあなたの雑誌を「破壊」させてみませんか?


<第64回/おわり>

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永井豪(ながい・ごう)
1945年9月6日、石川県輪島市に生まれる。石ノ森章太郎氏のアシスタントを経て、'67年『目明しポリ吉』でデビュー。'68年『ハレンチ学園』を連載開始、たちまち大人気を博し、以後現在に至るまで、幅広いジャンルの作品を大量に執筆し続けている。代表作は『デビルマン』『マジンガーZ』 『凄ノ王』『キューティーハニー』など多数。


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