永井豪天才マンガ家の作り方教えます! 永井豪、初の自伝的エッセイ 豪氏力研究所

編集者という人たち(4) だから、僕よりうんと年下の若い編集者は、遠慮せずに「こういうのを描け」と言ってほしい。「今はこういうのが当たるんだから、こういうのをやってください」と、提案してほしいのだ。明確にほしい作品を言われれば、僕だって「よっしゃ、そういうのは得意だぜい!」とか、「あ、そういうのはやったことないな。でも、やってみましょうか」ということになると思う。


「好きなモノを」と言われても……
 前々回、昔の編集者はパワーもあるけど無茶苦茶な人が多く、今の編集者は大人しいけれど実にキッチリしている、という話を書いた。その理由には、編集者気質が変わってきたというのもあるだろう。けれども、僕自身がベテランになり、担当者が皆かなり年の離れた年下になった、ということも大きいだろう。僕がデビューしたのは22歳のときで、大学に行っていれば4年生の年だから、出版社の担当者は皆年上だった。当時と今では、担当編集者の僕に対する態度が違うのは、むしろ当たり前なのだ。

 僕のほうは、相手が年上だろうと年下だろうと、同じように接してきたつもりだ。でも、どうしてもかなり年下の担当者だと、僕に対して遠慮が入るらしい。また、僕は自分のほうが正しいと思ったときには、断固として編集者とも戦ってきたから、「永井豪は、好きに描かせるしかないよ」と先輩編集者に聞かされているのかもしれない。そのせいか最近は、新しく仕事の依頼にやってきても、「何でも好きなモノを描いてください」と言われるケースが増えてきた。

 でも、僕に言わせれば、それは大いに心外なのだ。まず第一に、何か好きなモノ、と言われても、僕はもう30数年もマンガ家をやってきたから、大抵の好きなモノは、とっくに描いてしまっている。いや、正確には、描きたくて描いてないモノもたくさんある。でもそれは、アイディア段階でボツにされたものだったり、自分自身、「こりゃ、明らかに当たらんだろうなあ」と、諦めたものだったりする。何でも、と言われると、一瞬「じゃ、アレを描こうかな?」と思わないではないけれど、読者のことを考えると、自分でウケる自信がないものを描くのは、やはり気が進まない。

 それに一度ボツになってたりするアイディアだと、結構トラウマになってたりする。昔の編集者はストレートだったから、ヘンなアイディアを出すと一笑に付されたり、あからさまに「バッカじゃないの?」と呆れ顔で言われたりしたものだ。そうなると、「あ、そうか、ダメなんだ、こういうのは」と、自分の奥深くに封印して、二度と取り出すまいと誓ってたりするのだ。まあ、最近はマンガ雑誌のジャンルもいろんなものがあるから、ピッタリ合いそうな雑誌から話が来れば、ひょっとしたら描くかもしれないけれど。

 だから、僕よりうんと年下の若い編集者は、遠慮せずに「こういうのを描け」と言ってほしい。「今はこういうのが当たるんだから、こういうのをやってください」と、提案してほしいのだ。明確にほしい作品を言われれば、僕だって「よっしゃ、そういうのは得意だぜい!」とか、「あ、そういうのはやったことないな。でも、やってみましょうか」ということになると思う。僕は今だって、何にでも挑戦する気持ちは、誰にも負けないくらい旺盛なのだ。若い世代ならではの、僕が自分では思いつかないアイディアを出してくれたら、きっと僕だって新鮮な気持ちで描けるだろう。


マンガの潮流をひっくり返すには
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こう見えても、本当は素直な性格なのだ。
 最近、編集者に対して感じる傾向が、もう一つある。それは、今は一つの連載に“複数の担当者”がつくようになったことだ。今や担当者は二人、というケースが多い。ときには、3人も連れだってやってくるので、「どうして?」と不思議に思うこともある。正直な感想を言えば、僕は担当者は一人のほうがいい。だって3人いたりすると、場合によっては、同じことを3回も説明しなければならない。そもそも、顔と名前を覚えるだけでもタイヘンだ。

 どうしてこうなったのかと、知り合いの編集者に聞いてみた。その人が言うには、若いマンガ家の連載を担当したときなど、編集者がよってたかってアイディア出しをするらしい。いわば、編集者が原作者のようになってきているから、担当者の数は多いほうがいいと言うのだ。それを聞いて、僕はものすごくビックリした。そして、こう思った。「なあんだそうかあ。じゃ、むしろオレなんか、そうやってくれたらいいのになあ」。いや、皮肉でも冗談でもなくて、本当に心からそう思ったのだ。

 編集者が作品のプロットをくれるのなら、こんなに有り難いことはない。僕にも、最初っからプロットをくれればいいのに。編集者が「これを描いてくれ」と言うのならば、僕は「オッケー!」と二つ返事で、その人の腕となり脚となり、満足される作品になるよう、出来る限りの努力をする。第一、編集者が原作者だと、単行本の印税を分けなくていい。まったく、いいことずくめだ。だから、そういう形式ならそういう形式で、僕は大歓迎なのだ。だったら、担当者が3人いる意味もある。

 本当に僕は、いい作品ができて読者を喜ばせることしか、考えてないのだ。だから、作品づくりの方法に関しては、まったくなんのこだわりもない。ヘンなプライドもない。そのへんは、僕はすごく柔軟な人間なのだ。だから、今度仕事を依頼にきてくれる雑誌があったら、是非、そういう「編集者が原作者」スタイルでやりませんか。

 ただ、一つ心配なことがあるとしたら、前にも書いたけれど、今の若い編集者が「真面目すぎる」ことだ。特に売れた雑誌にありがちなことだけれど、どうしても過去に売れた作品の例、つまりマーケティングで、次の作品を企画しやすい。真面目な人は、このマーケティングという手法にはまりがちだ。でも、まったく新しいモノや、時代をひっくり返すような革命的な作品は、マーケティングからは出ないんじゃないだろうか。

 マンガが行き詰まったとき、革命的なマンガを生み出すためには、「すごくハズれた編集者」が必要になってくる。僕には、そんな気がするのだ。ハズれた編集者と、ハズれたマンガ家が組んだときに、予想もしなかったとんでもないモノができて、マンガの潮流が一気にひっくり返るような気がする。そういう人たちの出現を、僕は密かに期待している。


<第65回/おわり>

(c)永井豪/ダイナミックプロダクション2002-2003
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永井豪(ながい・ごう)
1945年9月6日、石川県輪島市に生まれる。石ノ森章太郎氏のアシスタントを経て、'67年『目明しポリ吉』でデビュー。'68年『ハレンチ学園』を連載開始、たちまち大人気を博し、以後現在に至るまで、幅広いジャンルの作品を大量に執筆し続けている。代表作は『デビルマン』『マジンガーZ』 『凄ノ王』『キューティーハニー』など多数。


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豪氏力研究所  りてる


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