ファンレターはたくさんもらったけれど、一番嬉しかったのは、こんなファンレターだ。まだデビューから間もない、『アラーくん』を連載している時のこと。ある時、僕の仕事場に、ぷっくりと膨らんだ封筒が届いた。拙い文字で宛名が書かれていて、自分の名前も住所も何も書かれてない。どうやら小さな子供の読者かららしい。 |
僕がマンガ家としてここまでやって来られたのは、言うまでもなく、僕の作品の読者、つまりファンの皆さんのおかげだ。公式のファンクラブというものはないけれど、デビュー当時に、当時まだ学生だった高千穂遙が、筒井康隆さんを会長に作ってくれた「永井豪ファンクラブ」が、一番馴染み深いだろうか。今でも形を変えて続いていて、たまに直接ファンの方とお会いすることもある。このファンクラブは、成り立ちからもSFファンクラブと重複しているメンバーが多く、ファンクラブの中から作家になった人や、イラストレーターになった人もずいぶんいるらしい。現在ダイナミックプロにいる、作家の団龍彦くんも、ファンクラブ出身だ。 ファンの方というのは、本当に熱心に僕の仕事を追いかけてくれている。中でも、特にコアなファンの方になると、サイン会などのイベントがあると必ず駆けつけてくれるので、顔見知りになった人も何人かいる。1999年には、全国縦断で「永井豪世紀末展」という作品展を行ったが、そういう熱心な人たちは、行く先々に現れて、サイン会で「おや、また来てくれたの!」と驚いたものだ。「キューティーハニー」の写真集で、出演のR.C.T.の5人と握手会をやった時にも、見慣れた顔が集まってくれた。先日、実写版映画『デビルマン』の撮影で、群衆エキストラを募集したことがあったけれど、やっぱり何人も参加してくれたようだ。そういうことまで、全部チェックしている人がいるのだ。 そう、最近はインターネットの普及のおかげで、僕のファン同士のネットワークも全国に広がっているようだ。いわゆるホームページでも、ぼくも会社も知らない僕のファンサイトや、作品のファンサイトがたくさんあるらしい。だから、僕が出演するイベントがあると、全国各地からやってきてくれるのだ。「すごい時代になったなあ」と、僕は感心するばかり。子供の頃、僕の作品を読んでファンになってくれた人たちが、大人になって経済力を身につけて、飛行機代を払って全国どこへでも来てくれる。まったく、面白い時代になった。昔は、こんなことになるとは、想像もできなかった。 僕のファンは、なぜかインテリが多い。僕のファンのお医者さんにも、何人か会ったことがある。そういう人はお金持ちだから、ガレージいっぱいに僕の単行本やグッズを保管している、という話を聞いて、ビックリしたりする。ものすごく高価な、何十万円もする限定フィギュアなんかも、ちゃんと全部買って持っているのだ。それを聞いた時には、「よし、これからはなるべく高いグッズを作ってもらおう!」と、よこしまなことを、つい考えてしまった。いえ、冗談ですけど。でも本当に、ファンというのは有り難いものだ。 |
熱心なファンの方の中には、熱心すぎるあまり「困ったな……」ということもある。ある日、誰かの家財道具一式が、突然うちの会社に送られてきたことがある。あるファンの方が、住み込みのアシスタントになるつもりで、事前に何の相談もなく、会社に引っ越して来ようとしたのだ。でもその人は、自分の描いた絵は1枚も持ってなかった。また、2004年には『デビルマン』の実写映画が公開されるけれど、十何年も前、「僕が『デビルマン』の映画で主演をすることにしましたので、よろしくお願いします」と、自分の写真を送ってきた人もいた。筋骨隆々で、立派な体格ではあったけれど、映画化の話は影も形もないし、まして俳優さんでも何でもない人じゃあ……。 特に困るのが、オカルト系の人だ。「僕に見えているものは、先生が見ているものと同じだと思うんです」と、何か怪しげな存在についての手紙が来たことがある。いえ、そんなもの、僕は見えてないです……。「何かに取り憑かれて困っています。先生、祓ってください」。そんなこと言われても、僕はエクソシストじゃないし……。僕の場合は、SFテイストの作品だからまだいいけれど、いつだったか、つのだじろう先生に伺ったお話は、もっとすごかった。家まで押しかけてくる人も、多かったらしい。でも、そんな困った人たちだって、僕の大事なファンなのだ。どんな形でも、僕の作品を読んで楽しんでくれたと思うと、本当に嬉しい。 ファンレターはたくさんもらったけれど、一番嬉しかったのは、こんなファンレターだ。まだデビューから間もない、『アラーくん』を連載している時のこと。ある時、僕の仕事場に、ぷっくりと膨らんだ封筒が届いた。拙い文字で宛名が書かれていて、自分の名前も住所も何も書かれてない。どうやら小さな子供の読者かららしい。開けてみると、中から小さな、ひからびたお饅頭が1個出てきた。一緒に添えてあった手紙には、これまたたどたどしい文字で「ぼくのおやつです たべてください」と書いてあった。小さなファンの子が、僕の作品を読んで、僕に自分の大事なおやつを送ってくれたのだった。 その後また、ものが送られてくるといえばカミソリ、ということもあった。それだけに、このプレゼントは今でも、感動とともに、僕の記憶にしっかりと残っている。 <第66回/おわり>
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