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HYPERSEXUAL PSYCHOVIOLENCE!
THE DYNAMIC WORLD OF
GO NAGAI
BY FREDERICK PATTEN
THE WORLD OF
GO NAGAI
TITLE PAGE
 この十年間で、日本製のテレビアニメは、従来の映画界、漫画界、そしてテレビ放送における合衆国ファンの意識を一変させた。60年代に「Astroboy」(鉄腕アトム)や「Gigantor」(鉄人28号)、「Eight Man」(エイトマン)といった漫画が輸入されていたが、我々にはその面白さがわからなかったし、その根底にあるものも理解できなっかった。
 70年代半ばまでには、マテル社がロボットのヒーロー達が活躍するアニメ、「Shogun Warriors」(ゲッター・ロボ他、日本のロボットアニメを何本か集めたもの)を輸入、配給していたが、それが日本の文化的、経済的侵攻の始まりだった。ドラマチックなアクション、臨場感溢れる表現など、合衆国の"Saturday Morning TV"(サタデーモーニングTV)には致命的に欠けていた要素が画面に登場し始めた。「Brave Raideen」(勇者ライディーン)、「UFO DaiApollon」(UFOロボ・ダイアポロン)、「Danguard Ace」(惑星ロボ・ダンガードA)、「Combattler V」(超電磁ロボ・コンバトラーV)などは、そのほんの一部に過ぎない。これらのテレビアニメは巨大ロボットのヒーロー達でうめつくされているように見えるが、それは日本のテレビ界がロボット革命の真只中にあったからである。
 1972年、たった一編のショッキングな漫画が日本のアニメ産業を活性化し、大きく変えた。「Mazinger Z」(マジンガーZ)はただのリモコンのロボットではなく、その頭部に一人のティーンエイジャー、兜甲児が入って操縦する巨大なマシーンであった。この、人間とロボットという独特な共生体は、後に「Great Mazinger」(グレートマジンガー)のシリーズで一層精密になっている。これらのヒーロー、鉄の騎士には、怪獣やロボット、それらが混ざった無数の強大な敵が現れるが、ことごとく打ち負かされてしまう。“サムライ”スタイルのヘルメットを被り、輝く剣を手にしたマジンガーシリーズのロボット達は、新旧のイメージを持ち合わせたユニークな融合体である。初の変身ロボット、「Getta Robo」(ゲッター・ロボ)、「UFO Robo Grandizer」(UFOロボ・グレンダイザー/ゴールドラック)、「Gloizer X」(グロイザーX)、磁気を操る「Steel Jeeg」(鋼鉄ジーグ)なども、新しいSFの概念を描いているたった一人の芸術家、クリエイターがこれらの共生ロボットと変身ロボットを生み出したのである。その超人こそ永井豪である。
 しかし彼の驚くべき、新しいアニメーションは、巨大なロボットだけにとどまらない。他にも我々アメリカ人には想像もできないような作品が、誕生した。
 「Devilman」(デビルマン)は、「The Adams Family」(アダムス・ファミリー)や「The Monsters」(怪奇家族大暴れ)のようなテレビのモンスター・コメディと、「The Exorcist」(エクソシスト)や「The Omen」(オーメン)のような、洗練されたオカルト・スリラーの要素を合わせ持つ。デビルマンの実体は、サタンに背いた悪魔に身体をのっとられた高校生である。毎回、新手の醜悪な悪魔が高校を破壊しようとするが、デビルマンに打ち負かされる。生徒も教師も身体を引き裂かれて血まみれになり、あるいは恐怖のあまりパンツを濡らしてしまうのである。
 他にもユニークな超人キャラクターのコメディに「Cutey Honey」(キューティーハニー)がある。ヒロインの如月ハニーはセクシーなアンドロイドで、地上の女性を抹殺し、男性をさらおうと企むスペースマフィア、パンサー・クロウ一味と戦う。彼女はカソリックの女子高校(聖チャペル学園)の生徒だが、レズビアン教師の夜な夜なのアプローチで正体がばれそうになる。男性の助っ人達は、戦いになっても、スケベ根性丸出しで、全くの役立たずだ。ハニーの超科学的なコスチュームは、変身の際につかの間彼女をヌードにして、熱心な男性視聴者達をひどく喜ばせた。
 これらのテレビシリーズのもとになっているオリジナルの漫画は、アニメよりずっと血みどろで猥褻であり、テレビのみならず漫画界でも、70年代に最も有名で人気のある作品であった。永井豪はその時、日本の漫画産業を、根底から揺さぶった運動の先頭に立っていたのである。それまでの真面目な子供向けの漫画は、ずっとワイルドで強烈な作品群に取って代わられつつあった。
 永井豪は、太平洋戦争終結の直後、1945年9月6日に生まれた。彼の成長は、現代の日本の漫画産業の成長と時期を同じくする。少年時代には自らアマチュア漫画誌を制作、独学で描くことを学び、20才で石森章太郎(現、石ノ森)のアシスタントとなる。石森は“漫画の神様”手塚治虫に影響された50年代の若い漫画家達の第一波にいた人で、当時「サイボーグ009」シリーズでメジャーになりつつあった。永井は彼のアシスタントの一人として2年ほど働き、その後独立する。
 エネルギッシュで精力的な彼は次々と作品を生み出し、漫画産業の中で自分の領域を広げていった。第一作は、1967年11月に雑誌に発表したユーモラスなショートストーリーである。1968年中には、12の漫画雑誌に、読み切りと連載を含めて23の作品を発表している。1969年には中世日本を舞台に、一座から脱走した若い馬の調教師を描いた「馬子っこきん太」(Kinta, The Young Pack Boy)が初の単行本に収められた。当時、「きん太」や他の多くの作品は、従来のものと同じ子供向けのユーモア漫画だった。
 しかし永井は、自らを因習の枠にとどめてはおかなかった。漫画を新しい方向に進めようとする若いアーティストのラディカルなグループに加わり、すぐにその運動のリーダーとなったのだ。これは同時期にアメリカにあった、アンダーグラウンド・コミックの動きと共通するところもある。ただアメリカでは、漫画家が自分と読者のために、一人一人が小さな運動を起こしていたにすぎなかったが、永井や彼の仲間のパンクな漫画家達はみな子供向けのストーリーを掲載する一般の雑誌に、作品を発表していた。
 1959年頃から、日本の漫画産業は、子どもが読むには大人向け過ぎる物語を生み出すようになりはじめた。60年代の漫画の多くは大人のテーマを扱うようになったという意味で、大胆かつ刷新的なものではあったものの、犯罪スリラー、ロマンス、歴史劇、ホーム・コメディ等、根本では従来の域を越えていなかった。ファンタジーはまだ子供だけのものだと考えられていたのである。
 永井とその仲間達は、ハイティーンやヤングアダルト向けの衝撃的かつ魅惑的な、新しいファンタジーコメディを開拓していく。{この運動における、他の漫画家について知りたければ、フレデリック・スコットの優秀な研究、“Manga! The World of Japanese Comics”「マンガ!マンガ!日本コミックの世界」[講談社・1983]を参照}永井は1968年7月25日から少年ジャンプで連載を開始した「ハレンチ学園」で悪評を高めた。これは、“典型的な”学校を描いた馬鹿騒ぎコメディで、男子生徒や教師は、女の子の裸を見るために次々に新手の作戦を競う。女の子達はもちろん、出来る限りに男の子達を挑発する。そこでは裸の乱行や酒のどんちゃん騒ぎは当り前、まともに勉強しようとする者は誰でも馬鹿者扱いされた。ハレンチ学園はPTAや検閲グループ等の、連載中止を求める甲高い抗議にもかかわらず、あるいはそのために一層、あっという間に衝撃的なヒット作となった。4年後に永井もやっと連載を終えることに決めたが、その時には生徒とPTAコマンド部隊間の大量殺戮戦争で学園は目茶苦茶になっており、それが彼の反対者への置き土産となった。
 その頃までに、永井はさらに手を広げていた。1970年、彼と兄弟達は漫画とテレビ両方でのプロデュースを目指し、自分達のスタジオ、「ダイナミック・プロダクション」を設立した。兄弟達が業務や経営の処理を行ってくれたので、永井は制作面で、アシスタントスタッフの監督に専念できるようになった。彼等の最初の目標は、テレビアニメの制覇であった。
 アニメ界における永井の登場は、漫画界でのデビューに劣らず衝撃的なものであった。彼の最初の企画には、日本で最も大きな、劇場アニメ、テレビアニメの制作会社である東映動画が二つ返事でのってきた。1970年から72年にかけて、東映はテレビのシリーズを制作し、永井はより大きなファン層を獲得するために漫画を描き続けた。
 テレビシリーズの方は、永井自身ではなくアニメーションスタジオが制作していたので、彼はさらにアイデアを広げて自分の漫画を描くことに専念でき、作品は『永井豪&ダイナミック・プロ』とクレジットされることになった。70年代末までに、彼は100作以上もの作品を生み出したことになり、しかもその作品の多くは長編であった。まさに、日本の漫画産業、アニメ産業を丸呑みにしてしまうような勢いだった。
 あまりの暴力シーンに市民団体から強い非難の声が上がったものの、彼のテレビシリーズは特にイタリアとフランスで人気を博した。1978年には「UFO Robot Grandizer」(UFOロボ・グレンダイザー/仏ではGoldorak〔ゴールドラック〕と改題)が数週間に渡って100%の視聴率を獲得し、世界をどよめかせた。つまりこの30分間は、他のチャンネルに合わせた人間がいないということなのだ。
 80年代に入ると『永井豪&ダイナミック・プロ』は、子供向けの人形劇を含め、さらに多様な分野で活躍した。このために漫画制作にはブランクが入ったが、彼はまだまだ現役である。1984年にはマジンガーZの再人気から、その新しいシリーズ、「God Mazinger」(ゴッドマジンガー)の制作が漫画とテレビ両方で開始された。また今日、永井はOAV(original animation video オリジナル・アニメーション・ビデオ)の市場でのアニメーション制作にもたづさわっている。そのプロジェクトの一つがデビルマンの再生だった。1972年の東映によるテレビ版は当時はとてもショッキングに思えたが、原作の漫画よりはかなり穏やかにされていたし、今日のアニメの標準から見るとかなりソフトなものになってしまっている。5つのパートからなる新しいビデオシリーズは、永井のオリジナルを再現している。他にビデオ用オリジナルの新シリーズとしては、宇宙をまたにかけた美少女賞金稼ぎのエロティック・コメディ・アドベンチャー、「Fandora」(夢次元ハンター・ファンドラ)がある。
 永井豪は今40代前半だが、日本のコミックアート界で、未だトップに位置するクリエイターである。
 子供向けのユーモラスな漫画から始めて以来、常に漫画とアニメのより広い概念を生み出してきた。マイルドで、それ程メジャーにならなかった作品に、「Chicle, The Young Witch」(魔女っ子チックル)があるが、エンディングのクレジットにワーナー・ブラザーズのTweety Pieの名が思いがけず入っていて、有名になった。しかしセックスとバイオレンスによる名声は、永井自身が誇りにしているものの一つである。最近の漫画には、ハルマゲドン後の野蛮な世界を舞台にしたシリーズ、「バイオレンスジャック」がある。イラスト集“Go Nagai and His Wild World of Violence”「永井豪の世界」〔徳間書店・1988〕と、ホラーファンタジーのシリーズ、“The Psychic World of Go Nagai”「鬼と悪魔のファンタジー」〔講談社・1986〕の2冊も出版された。
 だがバイオレンスという呼び方は正しくないかもしれない。永井が本当に追求したがっているものは精神的な、そして肉体的な生のパワーなのである。彼の作品の登場人物には、大がらで筋肉隆々、時を越えた愛や憎しみを持ち、体から発散している熱いエネルギーが見えるようなタイプが多い。そして彼の描くロボットや怪獣は、巨大で異様である。ヒーローのロボットでさえ、安心感というよりはむしろ畏敬の念、緊張感のある崇敬の念を起こさせる。ヒーロー達はめったにリラックスすることはなく、常に全世界の運命に責任を感じている。
 このダイナミズムが、彼の作品を、今まで読むことのできなかったアメリカ人にとってさえ、魅力的なものとしたのである。
 今日まで、永井がアメリカに紹介されたのは、“Epic Illustrated”の1983年6月号の記事一回だけのことである。しかし情報通のアメリカ人達は、各々で彼の作品をずいぶん前から探し出していたと見える。1982年の“Joshua Quagmire”の創刊号にある、動物風刺のコメディCutey Bunny(キューティーバニー)の、‘偶然’のこのタイトルはかなり露骨な語呂あわせである。日本のコミックのファンにとってはいうまでもないことだろう。そしてピーター・ギリスとトム・アーティスによる“Tailgunner Joe”に出てくる“マキシマム・リーサル・バイオレンス”という戦闘車輌のモデル・ネームは“Go Nagai”となっている。
 合衆国の漫画家達は、ずっと永井豪の作品を探し求めてきた。しかし今、アメリカの大衆向けに特別に制作された、この描き下ろしの「Mazinger」(マジンガー)を通して、我々も皆彼に会うことができるのだ。(1988)
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