東京三世社雑誌
COMENTS  1978(昭53)年,漫画スーパーギャンブル11月増刊として発行されたのが「少女SFマンガ競作大全集」で,次号から「少年/少女SFマンガ競作大全集」として続き,PART3(秋の号)から季刊で創刊となった。手塚治虫,石森章太郎,藤子不二雄はもとより,筒井康隆,竹宮恵子,萩尾望都,吾妻ひでお,楳図かずお,諸星大二郎などなど,すべてのSFマンガ家が参加する豪華すぎる雑誌。豪ちゃんもマンガのみならず,イラスト,エッセイ,対談といういろんな形で参加。
少女SFマンガ競作大全集(PART1)漫画スーパーギャンブル11月増刊  1978(昭53)11/25 発行
 豪ちゃんはカラーイラスト「デビルマン」,インタビュー,コイデさん(豪ちゃんマネージャー)が選んだゴウちゃんベストテン,「遺品」,特別座談会でフル参加。このデビルマンのイラストってKCスペシャル版背表紙の風忍のもので,「遺品」の初出は「女性セブン」1977(昭52)8/31で,ほとんど賢絵。
「鬼の祟りじゃー」
“鬼のテーマについて” 全国に,伝承説話として,あんなに残っているということね。単に人間の想像的産物ならば,あれだけ定着するか?という疑問と興味があった訳で‥‥。形態は人間と同じなのに,ただ,“角”の有無という,ほんのわずかな相違に含まれる意味の大きさ,ということに,つきせぬ興味がわくんですよ。
 でも,祟られました。「手天童子」描いてた頃ね。仕事を始めようとすると,やけに身体の調子がおかしくなって,終わる頃に治る。それがだんだん激しくなって,アシスタントも,夢でうなされ,吐いたりする奴が続出。飛騨の方へ,鬼のしゃれこうべがあるというので取材に行ったんだよ。呪いがかかるというんだけど,ま,いいや,てな調子で。ところが,出来あがった写真を見ると,なんと,真赤な血糊のようなものや,奇妙な傷がついている。僕らの足もとに,白くエクトプラズムらしきものが巻きついていたり。それ以来,東京に帰ってきても,いつも誰かにつけねらわれてるような気がしてね。
 こりゃ気味が悪いってんで,知り合いの坊主にお祓いしてもらうことにした。いざやり始めると,その坊さん,しだいに顔が青ざめてきて,額に油汗たらたら。四十分ぐらい念仏唱えたりした訳だけど。最後に「貴方にのりうつっていた邪悪な霊を,私の方にうつらせることによって,貴方を解放しました」とか何とかでケリ。まあ,効果はあったみたいだ。
(永井先生,淡々とした口調で語って怒られるけど,恐ろしい話ですよ,これは)
 つまり鬼というのは,人間の霊魂の一形態なんだろうな。それであの“角”というやつが,怒りというか‥‥まあそういう精神ないし心理状態を象徴してるんだね。
“最後にこれから描きたいというものを。” それは‥‥自分の中に芽生えても,どんどん変わっていくものだし,コレだ!と言えるもんじゃないんだなあ。まあ,出す時には,パッと出しますから期待しててください。

少年/少女SFマンガ競作大全集(PART3)季刊創刊第1号(秋の号)  1979(昭54)10/1 発行
 創刊記念マンガ家メッセージ特集には,26人のマンガ作家からコメントあり(↓「SFは楽しい」)。石森章太郎が選んだSFイラスト特集があるが,豪ちゃんの「魔王ダンテ」が選ばれている。見開きカラーで掲載され,石森章太郎のコメントもあり。なお本誌に収録された藤子不二雄『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』は,「SFマガジン」1975(昭51)1月号の初出で,豪ちゃんの描いた『快傑ウルトラ=スーパー=デラックスマン』(「週刊ぼくらマガジン」1970(昭45)1/27〜2/10号)とはまったく別物。筒井康隆「ベトナム観光公社」の石森章太郎によるマンガ化もあり読みごたえあり。

「SFは楽しい!」 自分の描いたSF作品の中で特に好きなのは『デビルマン』『手天童子』『バイオレンスジャック』かな。SFの楽しさって常識に縛られずに,イメージを広げることができるという点でしょうね。ものごころついた時からSFは,もう大好きなんです。SF映画もよくみたし『エイリアン』と『スーパーマン』が最近ではおもしろかったな。SFって難しく考えられがちだけど,もっと本質的な楽しみ方っていうのが,あると思います。ボクはSF作品を描く場合やはりとっつきやすいところから入って,だんだん難しい方向へ進みます。
石森章太郎のコメント バイオレンス,それに伴う不思議な美しさ‥‥相対するこの二つが奇妙に融合している‥‥そんな世界を描かせたら,この人の右に出る者はいないだろう。『デビルマン』しかり『魔王ダンテ』しかりである。今回とりあげたのは『魔王ダンテ』からの一点。『デビルマン』の前身とも言われるこの作品は,加速度的な展開が,我々を魅了した。絵柄も,ダイナミックでシンプル。まさに永井豪の作品の醍醐味を象徴しているかのようだ。

少年/少女SFマンガ競作大全集(PART4)季刊創刊第2号(冬の号)  1980(昭55)1/1 発行
 '80 新年謝恩大感謝祭として人気作家26人が色紙で新年のあいさつ。豪ちゃんはほかに3ページのユニーク・エッセイ「SF漫画ブーム」を掲載。

「SF漫画ブーム」
 大ヒット作「デビルマン」そして現在連載中の「凄ノ王」など,数々の傑作SF漫画を発表し続ける永井豪先生。自他共にSFマニアと認める豪ちゃんが,描き手側からのSF漫画論を展開。漫画史上におけるSFの占める位置とは‥‥。

 SF漫画大隆盛だそうで,まことにけっこうなことですね。まあ発端は「スターウォーズ」「未知との遭遇」あたりのSFブームとやらにあるんでしょうが,漫画というのはSFを最も受け入れやすいメディアですから,映画のようにうわっついたブームだけには終わらないで,しっかりと根を生やしたものになってきているんでしょうね。もっとも,まだまだ完全に定着しているとはいいきれないようなんで,手放しでは喜べないんですけれどもね。SF漫画家と呼ばれる僕としては嬉しいことです。僕のデビュー当時には,こんなにSFが受け入れられるというのは考えられないことでしたからその意味ではうらやましくさえありますね。なにしろ十年前には,いや,もっと前からでしょうけどとてもSF物は受け入れてもらえそうもない状態でして,特に新人がSF漫画描くなんて御法度とさえされていましたからね。僕なんかも泣く泣くギャグ漫画でデビューしたわけで,SF描かせてもらうまでに四年もかかっている。それが,今では新人の方がガチガチのSF描いたりして,それも奇異に感じられずに受入れてもらえるんだからありがたいことです。でも,僕は時々フッと思うんです。漫画ってのは,そもそもSFが本流だったんじゃないかなあって。
 現在の日本のいわゆる少年漫画は,まあ,最近は誰でも読むようですが,いわゆる漫画って奴は手塚治虫先生から始まったわけですよね。これには誰も異存はないでしょう。で,初期の手塚先生の作品群を見ますと,これはもう圧倒的にSF物が多い。もちろん,先生はそれだけじゃなくてありとあらゆるジャンルの作品を描いているし,それがまた先生のすごいところなんですけど,それでも大傑作といわれるのは,やっぱりSFなんですよね。
 「ロストワールド」「メトロポリス」「来るべき世界」──世にいうSF三部作を筆頭に「ロックの冒険記」「新世界ルルー」‥‥。もう,とんでもない傑作が目白押しで,特に「ロストワールド」なんかは僕が小学校に入る前に見て“よし,僕は漫画家になろう”と決心させたほどの代物で,今でもタイトルをつぶやくだけで胸が熱くなってくる。だから,ぼくにとって漫画即SFなんですよね。他の人にしてもそうだったんじゃないかな。
 その証拠に昭和20年代,30年代の漫画雑誌を見ると,SFっぽい作品ってわりに多いんですよね。まあ,ほとんどは単に“ぽい”というだけで,宇宙船やロボットが出てくるだけの内容はどうってことのない作品で,手塚作品とは本質的に違うんですけど,それでもSF──当時は“空想科学漫画”なんていいましたけど──は漫画の主流の一つだったと思うんです。それがいつの間にか全くなくなっちゃった。これはどうしてなんでしょう。
 いわゆる劇画の登場で日常的リアリティが求められるようになったためという答えもあるでしょうけど,これは違うと思いますね。現に大御所のさいとうたかおさんはかなりの数のSFを描いてらっしゃる。それも,けっこうハードなやつです。で,ぼくは思うんですけど,これはやっぱり日本人の人情浪花節好みのせいなんですよね,絶対に。
 少年漫画は手塚先生から始まった,ということは,現在の少年漫画はSFから始まったといい換えてもいいと思うんです。でも,手塚先生以外には,SF漫画の大ヒットは出なかった。出たのは結局「イガグリくん」であり,「赤銅鈴之助」なんですよね。ということは,日本人は本質的にスポ根物お涙頂戴の浪花節が好きで,SFはちょっと相容れないものだったんですね。
 で,何故手塚先生がうけたかというと,これはもう先生がちょっととび抜けた存在で,要するにそういうことで,何でも良かった。別にSFが受けたということじゃなかったんだと僕は思うんです。それが証拠に,マスメディアに載せる時は,「鉄腕アトム」のようにボルテージを下げざるを得なかった。手塚先生にしてからがさえです。結局薄められちゃうんですね雑誌では。なにしろ不特定多数が相手ですから。
 で,また“で”ですが,単行本時代の手塚SFに感銘を受けた連中がどうしたかといえば,これがプロになっちゃったんじゃないんですかね,ぼくの推測では。SF作家とかSF漫画家に。まあ,SF作家は置いとくとして,こうしてプロの漫画家になった人達が,はりきってSF漫画を発表していく。でも,難しい話だと読者にも編集者にも受け入れてもらえない。といって,薄めたものにしちゃうとつまらなくなるんで,やっぱり受けない。中にはそもそも突っ込み不足でSFもどきしか描けない作家もいる。そういったことでSF漫画は徐々に誌面から消えていったんじゃないですかね。なんいしろ,そもそも日本の読者はそんなにSF好きじゃなかったんだから難しいですよ,これをヒットさせるのは。
 しかも,そうこうするうちに浪花節の大天才梶原一騎さんが現れて,とどめですよこれは。そんなわけでSFは消滅しちゃった。というところがぼくの分析なんですけど,どうでしょう。
 じゃあ,何故それが復活してきたかというと,SF小説のせいでHSOUNE,やっぱり。内外のSF小説を読んで育った若い人達の間にSFを受入れる土壌ができてきたということなんでしょうね,平凡だけど。
 でも,ぼくはまたまた思うんですけど,SFは依然としてマイナーなジャンルじゃないんですか。いくらブームといっても,それはマニア的な傾向でしょう。メジャーでのヒット作品がないのがその証拠ですよね。これはぼく自身の責任でもあるんですけど,やっぱり日常的通俗的作品に負けていると思うんです。
 漫画の王道として出発したSFを再び王道に戻すのが,これからのSF漫画家の使命なんじゃないでしょうか。少なくともぼくはそう信じているんです。ぼくの作品を見てSF漫画を目指す人が一人でも多くできたら幸せなんですけど‥‥。これも平凡だなあ。


少年/少女SFマンガ競作大全集(PART7)季刊創刊第5号(夏の号)  1980(昭55)9/1 発行
 特集はオール描下ろしショート・ショート。ハヤカワ文庫カバーイラスト傑作集もあり,これに豪ちゃんの「超革中」が収録。エピソードもあり。
「超革中」ですか?なつかしいですね。あれは,デビューして3,4年目だったですかね。平井和正さんの少年向けSFのイラストを描いてもらえないかと,出版社から頼まれまして。まあ,今でこそ私も日本SF作家クラブの会員ですけれど,その頃は単なるSFファンにすぎなくて,平井さんとも一面識もなかったんですが,面白そうなんで引き受けたんですよ。そうしたら,出版社を通じて写真が送られてきましてね。これがなんと,ヨコジュンや鏡明氏の写真なんですよ。モデルの顔を参考にしてくれっていうわけ。で,その写真を前にして考え込みましてね。う─んヨコジュンねえ?(ワッハッハッ,ゴメン!)‥‥。まあ,結果としてあんな風にあがりましたが,そういえば,ヨコジュンはあの作品について何もいわないなあ?ひょっとしたら,写真通りに書かれたと思い込んでいるのかな。だとしたら,その方が恐い‥‥!

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