永井豪天才マンガ家の作り方教えます! 永井豪、初の自伝的エッセイ 豪氏力研究所
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僕が初めて描いたマンガ 僕は小学生のときにはもう、漠然とではあっても、マンガ家になるんだと決めていた。でも、実際に描き始めたのは高校生になってからだ。なぜそれまで描かなくて、なぜ高校生になってから描き始めたのだろうか。考えてみたのだが、たぶん画力の問題ではなくて、この頃になってようやく、ストーリーを作る力がついたからではないだろうか。


初めてのマンガも、悪の主人公
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高校時代、友達と行った伊東ユースホステルで。
中央が永井豪氏。
 中学生になって、僕はマンガのアイディアをノートに書き貯め始めた。しかしなんとなく、自分が実際にマンガに描くのは、もっと先だと考えていたようだ。そのうち中学校も3年生ともなると、受験で周囲が騒がしくなってきた。親は何にも言わなかったが、友達は勉強に忙しくて口を聞いてくれなくなり、先生も「お前はやればできるんだから、もっといい高校を狙え」とうるさく言うようになった。僕は勉強は嫌いだったが、自分も受験勉強をやらなきゃ、という気になってしまった。だから、中学生時代には、ひたすらアイディアを書き貯めただけで、マンガは描いていない。

 首尾よく高校に入ると、僕はようやくマンガを描き始めた。初めて描いたのは、西部劇。きっかけは、『左利きの拳銃』(最初の公開は'57)という映画を観たことだ。ビリー・ザ・キッドの映画なのだが、これまで彼を主人公に作られたような娯楽作品ではなく、犯罪に巻き込まれていくビリー・ザ・キッドの内面を描こうとする、社会派の映画だった。主演はポール・ニューマン。これが迫真の演技で、すっかり僕はその世界に感化されてしまった。

 この映画を観てから、ビリー・ザ・キッドは単なる無法者じゃなかったのでは、と思い始め、図書館で彼について調べ始めた。ほんの少しだけ出ている伝記を読んで、生い立ちを調べたりするうちに、彼がライトニング・スペシャルという銃を持っていて、撃ち殺した人間の数だけ星を刻んでいた、ということなども知り、そのカッコよさに参ってしまった。そして、彼の生涯をマンガにしたいと思ったのだ。どうやら僕は、もうこの頃から悪の要素に惹かれていたようだ。常に正々堂々と戦う善玉ヒーローより、いろんな面を持っていて、時には卑怯なこともするという、もっと、そう、リアルなキャラクターに強烈な魅力を感じていた。しかし、出だしの数枚を描いただけで、挫折して完成していない。

 僕が次に描いたマンガは、昔話の『浦島太郎』をもとにしたSF作品だ。この“SF版浦島太郎”のストーリーを思いつくきっかけになったのも、やはり大映の『鯨神』('62)という映画だった。宇野鴻一郎が芥川賞を受賞した同名の小説が原作で、本郷功次郎や勝新太郎が鯨を捕る漁師を演じ、激しい海洋アクションに仕上がっていた。この映画をみたとき、ふと「浦島太郎を、こういうアクションものにしたら面白いんじゃないか?」という考えが浮かんだ。さらに、太郎を荒々しいキャラクターにすれば、竜宮城の様子もおのずと変わってくるだろうと思いつき、そこにSF的な要素を入れて、冒険物語として描いてみたくなったのだ。

 浦島太郎が乗ったカメは実はUFOで、宇宙空間を生まれて初めて見た太郎は、海の中だと思ってしまう。異星に連れていかれた太郎は、ひ弱な異星人に助けを求められて、宇宙を股にかけて大暴れする、というストーリー。タイトルは、特に考えていなかった。UFOが亜光速で飛ぶために、太郎が1〜2日の冒険を終えて帰ると、地球では何百年もたっていた、というオチもついていた。しかし、これもまた途中で飽きて描かなくなり、とうとう完成はしなかった。


完成しなかった習作たち
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高校卒業の日、教室でクラスメイトと。手前中央が永井豪氏。
 僕は小学生のときにはもう、漠然とではあっても、マンガ家になるんだと決めていた。でも、実際に描き始めたのは高校生になってからだ。なぜそれまで描かなくて、なぜ高校生になってから描き始めたのだろうか。考えてみたのだが、たぶん画力の問題ではなくて、この頃になってようやく、ストーリーを作る力がついたからではないだろうか。絵だけではマンガとは呼べない。ストーリーがあって、初めてマンガなのだ。

 やがて僕は高校卒業の時期を迎えたが、何しろ勉強はしないでマンガばっかり描いていたものだから、当然のように大学受験に失敗した。というか、いずれマンガ家になるつもりだったので、もともと大学に行く気がなく、勉強に身が入らなかったのだろう。でも、どうすればマンガ家になれるだろうとかを、真剣に考えていたわけではなかったし、先の人生についても深く考えていなかった。それで、大学に落ちると、周囲に流されるまま、とりあえず友達と一緒に予備校に行くことにした。

 予備校の授業はは高校とは違うし、最初のうちは新鮮で面白かった。でも、すぐに飽きてノートにマンガを描くようになったので、自分でも「こりゃダメだな」と思っていた。予備校の友達も、一学期までは一緒に遊んでくれたが、だんだんみんな受験に対し真剣になってきてきた。そうなると僕はつまんないし、だからといって真面目に受験勉強する気もなかったから、こりゃあいよいよ本腰を入れて“マンガ家する”しかないなと思い始めた。

 この頃、つまり高校から予備校時代には、ほかにも何作かの習作みたいなものを描いている。でも、どれも最後まで描き終えていない。どうしてなのだろう。後でわかったのだが、複雑なストーリーを考えられるようになると、今度は画力と演出力が足りなくなってしまった、というのがどうやら真相のようだ。頭の中には、ものすごいイメージが広がっているのに、それを絵で表現しようとすると、手が追いつかない。どう描いても「違うなあ……」。結局、自分の思い通りに描けないため、嫌になってやめてしまう。この頃の作品が全部未完なのは、これが理由だったのだと思う。  そんなある日、僕の人生を大きく動かす事件が起きた。結果的にはその一件があったおかげで、僕はマンガ家になった。その事件については、次回書くことにする。

<第7回/おわり>

(c)永井豪/ダイナミックプロダクション2002
(c)Go Nagai/Dynamic Production Co., Ltd. 2002

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