永井豪天才マンガ家の作り方教えます! 永井豪、初の自伝的エッセイ 豪氏力研究所
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異端の作家、永井豪 あらゆる雑誌で連載を持って、どれも結構な人気を取りつつも、僕はマンガ業界では「異端の作家」だったのだ。不思議な作品を描きたがり、話を聞いただけでは面白いのかどうかわからない。しかし、描いたものは何故か子供にはウケるから、雑誌としては僕の作品は欲しい──。マンガ雑誌編集部の僕に対する評価は、こんな感じではなかったろうか。要するに僕は、登場した時代が早すぎたのだろう。


『デビルマン』を描いたのは石川賢?
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1972年、フィリピン旅行で。中央右で目立っているのが石川賢氏。
『魔王ダンテ』の連載が終了となって、僕は「ああ、これでしばらくはストーリーものは描けないだろうなあ」とガッカリした。残った週刊連載は、『ハレンチ学園』に『あばしり一家』。描くのを休んでいた『週刊少年マガジン』でも、次もギャグを是非、という話で『オモライくん』を始めることになるし、『週刊少年サンデー』でも、このあと『まろ』『ズバ蛮』『あにまるケダマン』とギャグばかり続くことになる。徐々にストーリーマンガに移行しつつあった、『週刊ぼくらマガジン』での連載『ガクエン退屈男』も、アシスタント・石川賢の独立で連載が続けられなくなったことは、前にも書いた。

 石川賢の名前が出たので、ここでちょっと、僕の作品と石川賢との関係について書いておこう。『魔王ダンテ』に始まって、このあと僕は『デビルマン』『マジンガーZ』『バイオレンスジャック』と、次々と長編SF作品を描き始める。ところが読者の方の中には、それらのSF作品は、永井豪の名前で発表されてはいるけれど、実は石川賢が描いていたんじゃないか、と思っている人が多い。「今までギャグしか描いてない人が、急に長編SFを描けるはずがない」というのが、その理由らしい。また、僕と彼とでのちに合作した『ゲッターロボ』は、全面的に彼に任せていたので、石川賢は「SFが描ける人」という評価がある。そして「『ゲッターロボ』が石川賢なら、『マジンガーZ』や他のSFもそうじゃないか」という発想で、そんな噂になったのだ。

 しかし実際には、石川賢が『デビルマン』『マジンガーZ』『バイオレンスジャック』を描けるわけがない。いや、石川賢の能力の話ではない。なぜ彼には描けなかったかというと、それらの作品を僕が始めた時期、彼は「日本一周無銭旅行」に出かけて、東京にいなかったのだ。その後、1年後に東京に戻り、独立して桜台に仕事場を持ち、ダイナミックプロから離れていた。しばらくは一人で『月刊少年サンデー』などで、ギャグ読み切りの仕事をしていたのだ。

 その頃、僕のところに新しいアニメ・タイアップの話が持ち込まれた。僕は『デビルマン』『マジンガーZ』で手一杯だったので、ウチの社長とも相談し、石川賢に話を振ってみることにした。そして彼はまたダイナミックプロに戻り、僕と合作で『ゲッターロボ』を企画し、マンガの連載も始めることになった。そのとき、まだ週刊連載のスピードに慣れていない彼のために、僕のアシスタントを半分(3〜4人)、石川班として回した。これが、真相だ。当時の石川賢の『ゲッターロボ』と、『デビルマン』『バイオレンスジャック』の絵柄の違いを見れば、明白なのだが……。


登場したのが早すぎた
 話を元に戻そう。『魔王ダンテ』を描いたことで、僕のストーリーマンガ家としての才能が認められたかというと、そんなことは全然なかった。むしろ、ますます「ヘンなものを描く、ヘンな才能のマンガ家」という評価が固まったようだった。一方で僕も、マンガ雑誌の編集部に対して不満を持っていた。これは面白いぞと自信を持って出した企画でも、その面白さをちっともわかってくれない。連載の途中でも、担当編集者があれこれ見当違いのことを言ってきて、「わかってないなあ……」と疲れることも多かった。

 たとえば『あばしり一家』を描いたときがそうだ。『あばしり一家』を描くとき、僕は最初から女の子を主人公にしたいと考えていた。でも、話しても話しても、編集部は許してくれなかった。少年誌で女の子が主人公の作品は、過去にいろんな人が失敗しているから、というのが理由だった。「手塚治虫先生も、横山光輝先生も、みんな失敗したんだぞ」と言うので、「いや、僕は別人ですから」と反論すると、しまいには「女の子を主人公にしたら、絶対に売れない。これは少年マンガの常識です!」とまで言われた。

 もうこれは説得するのは無理だ、と判断した僕は、「わかりました。悪人一家の話でいきます」と折れて見せた。「ああ、それはいいね」ということで連載がスタートすると、1回目からいきなり、菊の助という女の子を主人公にして、他の登場人物は全部脇役にしていった。1回目から人気が取れたので、そのまま何も言われずに済み、『あばしり一家』は単行本15巻という長編連載になった。僕はその後も『キューティーハニー』や『けっこう仮面』など、女の子が主人公の作品をいくつもヒットさせた。今やそんなものは当たり前で、特にオタク系の作品では、女の子が主人公のマンガばかりだ。だから僕は、ひそかに「この分野を切り拓いたのはオレだ」と思っていたりする。

 こうして僕は、「どうせわかってもらえないのなら、編集の人は上手くだまして、自分の描きたいことを描こう」と考えるようになった。打ち合わせのときには「はい、わかりました。じゃあそういうことで」と言って、全然違うことを描いたりした。さらに、描いた後で描き直しを求められたりしないように、わざと締め切りギリギリに原稿を渡したりした。そしてついに、「永井豪は、好きに描かせておくしかない」と言われるようになった。

 あらゆる雑誌で連載を持って、どれも結構な人気を取りつつも、僕はマンガ業界では「異端の作家」だったのだ。不思議な作品を描きたがり、話を聞いただけでは面白いのかどうかわからない。しかし、描いたものは何故か子供にはウケるから、雑誌としては僕の作品は欲しい──。マンガ雑誌編集部の僕に対する評価は、こんな感じではなかったろうか。要するに僕は、登場した時代が早すぎたのだろう。子供や下の世代には、熱狂的に指示された。でも、同世代や年上の人には、なかなか理解してもらえなかった。

 そういうわけで、新しいストーリーものの依頼は、どのマンガ雑誌からも来なかった。でも僕は、実は『魔王ダンテ』の連載中から、次のストーリーものの企画をこっそり進めていた。そう、マンガ業界とは違うところから、ある新しい企画を持ち込まれていたのだ。

<第26回/おわり>

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