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こう書くと、まるでストーリーがどこからか降ってきたみたいだけれど、そうじゃない。たぶん、こういうことだろう。ストーリーを進めていくと、次第に先の選択肢は少なくなっていく。一方で「面白くしたい」「意外性を出したい」「キャラクターに矛盾は持たせない」「予定ページ数で終わらせなくちゃ」などの条件がある。すると頭の中では、無意識のうちに何百何千ものストーリーがシミュレートされ、取捨選択されて、最後に条件を全部満たすものが、いいアイディアとして浮かび上がってくるのだ。そしてもう一度、そのアイディアを冷静な目で再検討して、「やっぱりコレやー!」と自信が持てたら描く。たぶん、将棋を指す人も同じことをやっているのだと思う。
デビュー当時。夜、一人で笑い転げることもあった。
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全部の条件を満たすアイディアが浮かぶと、同時にそのシーンがビジュアルに浮かんでくることがある。『ススムちゃん大ショック』の場合は、ススムちゃんの首の絵が浮かんで、「あ、これで終わるとカッコいいなあ」と思った。「カッコいい」というと誤解されるかもしれないが、要するに意外性があり、インパクトもあり、強烈なメッセージもあり、きれいにページ数もまとまるエンディングだったのだ。もちろん、必ずしも浮かんだ絵をそのまま描くわけじゃない。最後に必ず、作品全体にバグがないかどうか検証して、この場合はこのシーンで終わるのが一番いい、と判断したら描くのだけれど。
ギャグマンガの場合も、基本は同じなのだけれど、最後の検証作業はやらないことにしている。ギャグを検証したところで、読者が笑うかどうかは、出してみないとわからない。だから、ギャグのセオリーというものがあるのかないのかわからないけれど、自分が笑えるということを一番重視している。デビュー当初はギャグマンガ専門で、アシスタントもいなくて一人で描いていた。明け方が近づくと、頭がハイになってくる。すると、自分で考えたギャグに笑いが止まらなくなってしまうことがよくあった。「こ、これは面白い!」と、一人で涙を流して笑い転げるのだ。こういうときは往々にして、翌日読み返すと何が何だかわけがわからない。でも、「自分でこれだけ笑ったんだからいいや!」と割り切って、そのまま編集者に原稿を渡していた。
マンガ家の中には、最後までストーリーができてないと不安で描き始められない、という人もいるらしい。でも自分には、ストーリーを決めないやり方がとっても合っている。あらかじめあんまりガチガチにストーリーを決めてしまうと、描いていてちっとも面白くないのだ。急にアドリブを入れたり、予定より長くなったり短くなったり、ハプニングがあったり、ちょっと失敗したり、思わぬ人が急に目立ったり。そういうことが起きるから、僕はマンガを描いていて楽しいのだ。「やっぱり、マンガはライヴだなあ」とつくづく思う。
いろんなキャラクターが成長したり変貌したり、本性を現したりする中で、珍しくほとんど変化しなかったキャラクターもいる。『デビルマン』でいうと、主人公・不動明の恋人、牧村美樹ちゃんがそうだ。これはどうしてだろうか、その話はまた次回。
<第29回/おわり>
(c)永井豪/ダイナミックプロダクション2002-2003
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